リビア民衆、カダフィ共に生き残る道
リビアでは政府軍と反政府軍の激しい対立が続いている。国際世論は民衆に見方している。それは当然のことだが、ここで海外の連合軍がリビア民衆救出のために戦艦を使わす、軍事行動を起こす、、、ことを本当にリビア民衆は望んでいるだろうか。おそらく望んでいない。国際世論はポルポトの残虐行為をそのときには語らず、ナチスのユダヤ人迫害についてもそのときにはそれほど語らず、語るときと語らないときがある。都合によって左右させる。今回の中東の事変については民衆に味方して語っている。そして政権転覆後の支配権を得ようとうごめいている。リビア人もそのことは知っている。なので、本音ではリビア国民も外国の介入はいやである。命が風前の灯にあるところでは、何でもいいから助けてくれ、、、という事態は確かにあることはあるが。ここに第三の道があると思う。カダフィはここで本当なら土下座して、国民に謝罪し、海外勢に対して、いったいとなってリビアを守ることの協力をお願いするのがいい。本当の敵は今は、連合軍の動きにある。私の豊満な馬鹿さ加減により、こうした事態を招いたので、もう私は下野するが、それとは別に、政府、国民いったいとなって、外国を入れてはいけない、、、との絵を作れるかどうか。共に生き残る道を探せたとしたら、これは本当の革命となる可能性がある。すでに数千人のリビア人を政府側は殺してしまっているため、もう無理かもしれないが、この混乱を巨視淡々と狙っている背後の勢力に、リビア人の場合は、エジプトやチュニジアと異なって理解しているはずだ。カダフィの本当の革命心が試されている。どうせこのままではカダフィは殺される。しかしカダフィ、民衆ともに目覚めるチャンスも目の前にある。連合軍を国内に入れないことを反政府軍に約束させ、自分はその後十字架にでも何でもかかる、と、死をもって実践すれば、カダフィは再び死んで英雄になれる可能性もあるこのときを、利用したほうがいい。側近にはおそらく知恵者はいないと思うので、カダフィ自身の魂の可能性にかけるしかないだろう。ここでそれができたなら、中東の革命は質的な変化を迎えることができるのだが。