年末年始のご挨拶 パート1

これから何回かにわけて、年末年始のご挨拶をさせていただきます。

2010年もあと一日で終えようとしています。
みなさんにとりまして、この一年はどういう年でしたでしょうか。このところ、続いておりました、変化への希求がさらに激しさを増しているように思います。

変化をためらう者や物事は日々大変さを増し、自ら変化に身を投じる人や物事は、不思議とそれなりの形を作り、可能性を感じるようになっています。

変化を拒む政治などが見るも無残な姿を現すのを見ても、こうした流れの激しさを感じます。

私も主に仕事面で今年は変化を急いだ年でした。暮れから始めた新しい公式ショップ、そして、直営店としての、夢の愛ショップと、同時に二つが進行していますが、色々な不具合があったにも関わらず、ご利用してくださった方々には喜ばれており、ありがとうございます。

披講という和歌を歌う活動も今年は順調に進展しました。そして変化が多かったと思います。今年は大阪において始めて、高額ギャラをいただく歌会を開催することができました。こうしたものにお金を支払ってくださる方と巡り合えたことは本当に幸せなことでした。また、暮れになってからの急な進展もありました。
 国学院大学において、正式に披講を国学としてとらえるという機運が突然にして起こり、その発起者として、私が主宰する星と森披講学習会が中心に据えられるという、考えもしなかったことが実現いたしました。
 日本文化はこれから間違いなくつよい関心を持たれることになると思います。そして日本文化の特殊性と特異性の元に、日本語があることがやがてわかってくると思います。そしてこれらのことを、確信的に表現した「母音物語」がこの春に発売されました。その内容がまさに評価された形になったことは本当にありがたいことでした。
 この流れが途絶えることは私はもうないと思います。日本は150年から200年ごとに、洋の文化を取り入れる時期、和の文化に戻る時期を繰り返しております。明治以降、150年が過ぎましたが、この期間はあまりに露骨に西洋一辺倒になってしまいました。優れた日本文化は忘れ去られ、黒髪に短足の日本人が洋真似をするという哀れさにも至ったような気もいたします。決して洋文化が悪いといことではなく、和文化との違いがあることは事実で、どちらにも優れた点、素晴らしい点があるのは当然でしょう。その当然のことが、洋に重点が置かれすぎ、それがおかしなバランスになるまで発展し、限界感をもたらしております。例をあげてみれば、きりがありませんが、多少なりとも絵心がある人なら、葛飾北斎や東洲斎写楽、北川歌麿などが、ダヴィンチやミケランジェロ、マネ、モネ、スーティン、ユトリロ、などに劣るとは思えないはずです。文化の差異があり、比べられない、という意見は当然でしょうが、ではその評価はあまりに違いすぎないか、、、という反省がこれから起きてまいります。私は実はモーリスユトリロが好きです。しかし、芸術的にみて、北斎の足元にも及ばない、そういう芸術だと思っています。もちろん私の勝手な気持ちであり、子供じみた考えでの話しである点はご理解ください。北斎をはじめとする日本の芸術作品は本当に安い価格で海外に流失した事実。現代ではそういうことはもうありませんが、それでも果たして、オークションで何億も、何十億もする、ゴッホやピカソ以上の値がつくでしょうか。まだまだ日本文化の評価はこれからなのではないでしょうか。
 しかしいずれ日本の文化が高く、評価される時代がやってきます。そしてわかってくることは、その元に歌、和歌があること、そしてそれは歌われていたということ。さらに、日本語という特殊性に帰結していくと私は思っています。
 この時、披講を国学として位置付けるという国学院の一部ですが、そうしたお考えが出てきたことに、時代の移り変わりを感じております。
 今年春にリリースした私の最初のアルバム、「母音物語」には、こうした日本文化の根底からの位置づけが記され、豊富な倍音の収録によって証明されているのです。
 また、これも暮れになりますが、私が指導した百歳姫が去る10日の紀尾井小ホールでの公演において、成功を収めました。和歌や和文化に関心がない若者の心に届くことへの願いを込めて、百歳姫は結成されましたが、十分にその役割を担う可能性を感じました。これも今年の大きな出来事だったと思います。
 また、先日、リリースした「虹の瞑想法」は大変な評判を得ております。こうした声の文化を通して、時代を見ていきたい、という思いは増すばかりです。
 来年は倍音研究会、という名称となるかどうかはわかりませんが、倍音や高周波の音声について、それぞれ別個に活動されている方々と、なんらかの連携をはかり、その重要性を旗印に研究の活動体をつくりたいと思います。現在の日本では、ホーミーなどを研究されて有名な大橋勉先生、また、暮れに倍音というゴ著書をお出しになられた中村明先生などと、もしも許されるなら連携を深めたいと思っています。
 こうした活動は皆さまにはわかりにくいかもしれませんが、具体的には、ボイスヒーリングとして、またチューニングフォークの実践として、必ず生きてまいります。私自身が成長し、色々な取り組みをなすことによって、そうした成果を還元していきたいと思っています。
 
 このところ休んでおりました、世界情勢や政治、また世界経済に関したコメントですが、その理由は、すでに以前に書かせていただいた通りに世の中が動いているので、あえて書く気が起きないことがあります。たとえば、サブプライム問題が発生した際に、私はこれは最終的に通貨制度の変更に至る、と書きましたが、この方向にそってやはり進んでいると思います。また、世界情勢もインフレの時期については多少早く言いすぎましたが、来年からはそうした流れになってくると思います。政治yや経済については書き込みたいことはあるのですが、あまり書いては危ないという面もあり、自制しております。ただ、もうほとんど破滅的であり、よくなることはありません。まず、民衆を太らせて、働かせる、、富を与え、あらゆるものの価値を高める。要するにバブルを作る、、、そして金融やギャンブルすなわち投資と呼ばれるものをすべて落とし込む、安くなった際に買いたたく。こうしたことを何回も繰り返すことで、富は一部に集まります。その最終版がサブプライムでした。ただまだすべてはできっておらず、本当に大変になるのはこれからです。私たちはあまりに知らなすぎます。だまされている、と思ってもよいでしょう。サブプライムで莫大な利益を上げた部分は隠し財産とし、表に出る負債分は国に面倒を見てもらう、、、これでダブルでもうかりますね。国はやがてその負債に耐え切れなくなる、、、これがこれから起こることです。そしてそれを面白くないと思う上と、あくまでそれを実行しようとする上と、仲間割れもあることでしょう。ウイキリークスがばらすなら、こちらもこの秘密を出すぞ、、、とばかり、来年は大荒れとなるでしょう。しかし何であれ、国の負債は耐えきれず、結局は国民がそのツケを支払うことになり、塗炭の苦しみを受ける、そういう時代が迫っています。
 なので、これから重要になってくるのは、そうしたものに邪魔されず、捕獲されず、ぼろぞうきんシステムに依存しないでも生きていける具体的方法をそれぞれが持つことに尽きます。
 私の来年の目標はまさにここにあります。どうすれば人は生きていけるのか、、、いやな思いをせずに、実際に生きていく方法はあるのか、、、私はあると思います。その実際を具体的に作っていくことが来年目指すものとなるでしょう。
 あまり長くなっても読みづらいと思いますので、一度、おいて、次回、パート2へゆずりたいと思います。

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