岡田監督
日本チームの活躍もあって岡田監督もどうにか面目を保ったが、今度は政府の何がしかの参与になり、これからの日本について提言する立場になったという。その内容を聞いてけっこううれしかった。それまで私はあまり岡田監督が好きではなかった。軍人の帽子をかぶったらもろ日本陸軍がイメージされるようなところがなんだかなじめなかった。しかし昨日の話しには、若者に文化が必要なこと、そのためにはかなりの覚悟ある支出があっていいのではないか、、、という話し。次の日本を創るのは文化の力であるという確信的態度に驚いた。えっ、あの人がそんなこと言うなんて、、、という驚きだが、おそらく日本の最近の若者に接して、彼らの力を感じたのだと思う。覇気がないとかやる気がないとか言われがちな今の若者だが、そうではなく、本当にセンスがよくなっているのだと思う。これまでの、出世、有名、金持ち、贅沢、、などというレベルの人生では決して満足しない。もっと自分らしく生きたい、、、もっと自分的にかっこよく生きたい、、、という気持ちが強い。要するに文化的に生きたいといことである。オタクはそれを先行して表現している。いま、銀座でもどこでも繁華街に行き、10年前、いや5年前でもいいが、その時代と比べてみるとあることに気付くだろう。どこにもブランドバッグを身につけて歩いている人が見当たらない。シャネル、グッチ、ヴィトンのバッグはどこに行ってしまったのか、、、。偽物の横行がこうした事態を招いたことは大きな原因ではあると思うが、はたしてそれだけだろうか。どこかのブランドに頼った自己イメージが作られる耐えがたさを、彼ら、彼女らは感じているからではないだろうか。誰かがいいというブランド、みんながいいというブランドを持つよりも、自分が選んだものを持ちたい、、、この変化は実は非常に大きく、これからの日本の可能性を感じさせる現象なのだ。民主主義が日本で行われているとは決して思わないが、もし民主主義があるとしたなら、間違いなく、唯一、日本で成功したということだろうし、民主主義などというインチキな言葉より、物の喜びを超えたところにあるより高度な自己実現の段階に日本は入っている。そうしたものがかっこよく思える時代に入りつつあるということだ。何がかっこよく見えるかどうかはその時代を正しく映す鏡のようなものだが、この5年でかっこよく見えるものが、一流ブランドから自分自身的なものへと急変したことは、重大である。大きな可能性を感じざるを得ないが、世界を見て、若者に触れ合ってきた岡田にもそれがわかったのだと思う。政治はそれをくみ取らなくてはいけない。アメリカ一辺倒の日本は、それにおんぶして自分の財や保身を生きる人間は、どんな金持ちでもカッコ悪く見えてくる。何も争う必要などはない。過ぎゆくものはカッコ悪くなり、可能性のあるものがかっこよく見えてくる、、、人間の感性はこの点において残酷なほど正確である。