年に一度の和歌の宴

来る7月25日の日曜日。午後4時から日本出版クラブ会館にて、年に一度、私が主宰している「星と森国際短歌大会」があります。もう入賞歌も決まり、練習を重ねているところ。練習とは、入賞歌を披講式において実際に歌うため。今年は私は歌う役ではなく主宰者に徹することになりそう。早いものでもう12回を数える大会に。民間の和歌のコンテストで実際にそれが歌われるのは珍しく、例年入賞者の皆さまは驚かれます。そして感動してくれます。まあ、確かに自分の歌が実際に歌われる、、、という体験は大変貴重。短歌をなぜ和歌というのかは、これはやってみればわかるのですが、たとえば、小学校のクラスの全員に短歌を作らせ、作った短歌を実際にみんなで歌うと何が起こるかです。いじめがなくなる、、他人の気持ちに思いが行くようになる、、、そうした効果が抜群にある。ある子供は、自分が友達とうまくいかないことを歌で嘆く、、、、その歌を全員が歌うことで、なんだ、そう思ってたのか、、、それであのとき元気がなかったのか、、、というように、ひとりの思いを皆が共有することになっていく。現代馬鹿教育では、こうしたことはプライバシーの点から問題だなどというかもしれないが、困った話しである。問題の共有、思いの共有ほど大切なものが他にあるものか。そしてそれは歌がもっとも得意にするところであり、歌があれば人はばらばらにはならない。おそらく教育の現場でこうした歌をとり去ろうとする力と、それを復活させようとする力がこれから出てくる。しかもどちらも真剣である。なぜなら、未来がそこにかかっているからだ。人間を無個性化し、創造性を奪い、監視社会化していきたい勢力は、最終の敵がこうした文化にあることをすでに知っていると思う。歌番組は絶対にいつの時代もそれなりの人気があるにも関わらず、今ではない。国民がともに歌う歌がなくなっていく背景には、私は確信犯的な力が働いているように思う。歌謡曲であれブルースであれ心に響く歌に本来は年齢の層によるギャップは存在しない。今、許されている歌は、そのほとんどが限られた層だけに受ける歌である。本当の意味での、誰にも響く抒情的意味での新たな国民歌が出ることは、管理社会の到来を数年も数十年も遅らせることをわかっているのだろう。そうなのだ、秘密は歌と言語にある。もうそういうことを言ってもいいだろう。だから私も確信犯的にやってきた。短歌大会、実際に歌う短歌大会を始めて12年になった。貧乏な私が大賞歌に五十万円の賞金を出してきた。さすがに厳しくなって二年前から二十万円になったが、本当はいくらでも出してあげたい。歌、たった31文字の短い歌に、大きな価値があることを知らせたくもあるからだ。大手の出版社などがたまに行う短歌のコンテストでも五十万はほとんど出さない。二十万も出ないものが多い。私のところでは祝賀会の費用やその他で、出費は結構大きくなる。しかし毎年、入賞歌を披講し、その感動を味わってしまうとどうしてもやめられなくなる。最初の大賞歌は、
「あさひかげさすやたまなすさくらはなけふをゆたかにちりゆかんとす」
だった。桜を歌った歌だ。月を詠んだ歌では、
 「たたかひのとぎれしあいまいくさひとわれをてらせしおきなわのつき」
 鳥を歌った会では、
「ばんしょうはひすいのうみにねむりおりくらきてとおきしらとりのこえ」
 音の会では、
「ああ、あれはははがくるおとつえをつくおとがびょうがのわれにちかづく」
 海のときには、
「さかなでもとりでもひとでもなくなってくれてゆくまでうみをみている」

 本当にどれも素晴らしい歌だった。こうした魂の歌はこの会でしかおそらく選ばれないと思われる、レベルの高い歌でもあると思う。しかもそれらの歌が実際に歌われる。私が金持ちだったら、本当に何億でも出してさしあげたい歌ばかりなのだ。そして歌われたとき、その歌に命がかがやくことを毎年体験する。本当はどこかのお金持ちの方に主宰を代わってもらいたいのだが、まずどこにもいない。日本を守り、活気づけるのは、日本語で歌う歌にある。人はそれによって生きていく。和歌ばかりを言っているのではない。私たちから歌を奪っていく流れがある。彼らは本質を知ってそうした流れを作っている。イデオロギー闘争の必要も、政治的思惑も、社会制度の仕組みも、実はそれほど大きな問題ではない。歌から離れないこと、自分の人生を歌うこと、自分自身を歌うこと、、カラオケだってかまわない。歌がうまい女性は、美人よりも魅力があるではないか。酔わせてくれるではないか。偏見を捨て、つまらぬ価値観を捨てて、本当に心に響く歌い方ができる女性の歌を聞いてみろ、、そうしたら誰もがきっとそう思うはずだ。と言いたい。何が本当の価値か、きっと伝わってくる。私たちの心の奥には、美しい琴がある。それを書きならしてくれる歌がきっとある。そうした歌を聞いたとき、そうした人に出会った時、私たちは何もいらない、何の不満もない、ただこうしてつながっていたい、響き合っていたい、、と思うはずだ。だから昔から歌がうまい人は、特別な存在だった。仕事なんかできなくてもかまわない。みんなのために歌ってくれるだけでいい。なぜならみんなはその歌をとおして自分の命を再生させ、新たな命をもらうことができたからだ。歌をなくしてはいけない。生命の言語である母音の発声、すなわち日本の歌は私たちの命の再生機であり、他の重要性とは異なる特別なものなのだ。

 
    第十二回星と森国際短歌大会 

日時 7月25日  午後4時 に扉が閉められます
場所 日本出版クラブ会館   神楽坂にあります
会費 無料。受付でブログを見て来た、と言ってくれれ   ば入場できます。写真撮影はできません。午後5   時から祝賀食事会もありますが、こちらは会費が   一万円かかります。しかも予約が必要ですので、   万が一、ご希望の方は20日までにメールでご連   絡ください。大会のご出席は自由ですので予約は   不要です。4時にはスタートし、扉を閉めて入れ   なくなりますので、多少前にいらしてください。