現代の大本事件

戦前戦中に大本教は二度にわたる弾圧を受けた。何が問題だったのか私にはよくわからないが、満州政策がその一つであったことは間違いないと思う。出口王仁三郎は満州政策が日本と世界の未来を決める、、、とよく力説していたと思う。こうした構図は実は地政学でもあるので、数年で消えたり、ひとつの戦争を機に終えてしまう構造とは異なる。満州と日本、現代でいえば、モンゴルと日本の関係には、基本的で潜在的な可能性が眠っているわけで、それは昔も今も変わらない。今回の大相撲の野球賭博だが、こんなことはかなり以前から行われていたことは、情報通の人ならみんな知っていると思う。なぜ今になってその問題を表に出してきたのか。そちらの方が気になる。もしかしたらこれは第二次大本事件と同じなのかも。第一次大本事件を朝青竜事件だとすると、今回は第二次となる。今回は白鳳などのモンゴル勢は関係してないようだが、モンゴル横綱を抱え、今後もそうした方向性を歩むと思える相撲協会に対して、それではまずい、、、と思う力がおそらくあったのではないかと、素人考え。なぜ今、、、モンゴルと日本の関係はこれでどうなってしまうかわからない。石原莞爾と東条英機の争いは今でも続いているということなのだろうか。そうだとしたならすごい話しである。しかし大きな時代の流れから読むと、このまま日本と中国が一体化したアジアの時代というのにはやはりまだ無理があるが、日本がモンゴルと兄弟的なつながりを持つに至り、その地政学的延長線から眺めた、壮大なアジアのイメージは意外に現実的ではないだろうか。おそらくそう考えていた上の上もいるはずで、そこらへんと従来勢力との争いという面が今回の相撲事件にはあるのかもしれない。とはいえ、相撲協会がまるでやくざのようになっていたことは私も感じていたので何とも言えないが、このままでは相撲協会は一方的な悪者に仕立て上げられてしまう。その背後にはこうしたアジア時代への可能性を抹消させようとする背景があるのかも。今回は相撲協会は負けることになるが、どうだろう、アジア時代の流れは本質的に変えようがないと思う。この百年の歴史は、西洋がアジアの一体化を阻み、邪魔する歴史だった。その中心的国として日本があり、中国があった。そして日本と中国との関係はいまひとつスムースには運ばない。ほんとうは日中で新たなアジアの時代を築けばいいと思うが、まあ、色々あって難しいのだろう。しかし日本とモンゴルが経済的に強固に結ばれ、心情的にも兄弟国家となったとき、そのシュミレーションに西洋は恐怖と恐れを抱いたと思う。なので戦争で負けた日本は政治的な課題としてこれをまっすぐには捉えられない。しかし相撲を通してさらに上の意思が表現されていたように私には感じられる。それを現代の第二次大本事件がくずしたのが今回の絵だと認識している。ただし、私一人の勝手な思いであり、本当かどうかはわかりません。第二次大本事件によって完全に破壊つくされた大本教だが、呼応するように日本も敗戦。まるで大本と相討ちするようして共に滅んだ。今回も似たようなことになるのだろうか。