妖精のデザート

明日から温泉合宿。と言っても一泊二日の短いもの。7月25日に迫った星と森国際短歌大会の入賞歌の決定、そして、12月10日に行われる、第三回公演の内容を決めるなど、結構盛りだくさん。飲み放題の宿にしたがそれがどう出るか。ある程度お酒が入ったほうが口はなめらかになるが、入りすぎるとどうということのない会議になってしまう危険も。それにサッカーの試合が見られないという不満も出てくるかもしれない。音を小さくして部屋の片隅でつけっぱなしにしておけばいいか。
 アメリカが急速におかしくなりつつあるが、その分、日本がなんとなくクローズアップされている気配というか、ムードを感じる。それは当然でしょう。白人のやり方は、もう白人自体がわかってしまって、お互いを信用できなくなっている。なので、これから急激な価値観の転換が起きるでしょう。戦争が一部の利益のために行われていたことや、なぜ世界から悲惨な出来事があとを絶たずに起きてくる理由が、もうわかる人にはわかってしまっている。知ったらしまいで、もう同じことはできない道理。なので世界は変わらざるを得ない。その際、一番これまでに損していた国や人、、、が突然クローズアップされてくる。世界を見回しても、星条旗を憎々しく思う人は多いが、それを見て感激して涙する人はほとんどいない。日本は国はおかしなところはたくさんあるが、日本人が戦後世界でやってきたことは本当に素晴らしいことが多く、そのおかげで、日本を信頼してくれる人は潜在的に増大している。マスコミは事実を伝えてこなかったので、世界における日本人の評価を無視するが、そうした偏向もそろそろ終わりとなるだろう。占星術の話しで恐縮だが、運行中の木星と天王星の合は、日本再評価につながる。木星は発展と保護、天王星はアイデアと人類愛の星。殺人のために科学技術を磨いてきた白人国家と日本の違いがこれから突然逆転しだす。私は木星と天王星の合をそうとらえている。海外の占星術師はどうとらえているか知らないが、ほかの解釈がなければそうなっていく。星の運行とは、解釈した者勝ちなところがある。色々な解釈がある場合は、より根源的な解釈に軍配があがる。星の運行は人の意識の変化を意味するので、その意味あいを表示し表現した者に沿って、星の運行の力は表現される。正しく、人間が未来を作るということでもある。白人はすでに天王星の解釈をエジソン的なもので使いきっている。日本人は極めて天王星的でありながら、まだ日本的な天王星解釈をしていない。今回のはやぶさ帰還といい、東北新幹線といい、日本の科学技術のレベルの高さがいやというほど印象づけられている。これらを一言でいうと、日本の民生に生きる科学技術、人を殺すための科学でなく、人を生かす科学技術が突然重要視されるという形になる。これはあと半年もたてばゆるぎないものになっていく。天王星の力は何でも突然であり、圧倒的である。人を殺すための科学技術に、世界の人がいやだと言いだす。水瓶座時代が来るのはまだ150年以上も先だという意見が多いが、そんなことはない。イエスに至っては2000年以上も前からその時代の到来を知っていたが、イエスはすでにその時代原理が根本で圧倒していることを察知していた。そしてピークを打ったものが崩れるのは早い。時代の変化はこれからスピードアップしていく。それは人の意識が変化するためだ。ウソを見抜いた人類は、もうそういうことはいやだと言いだしている。人を殺し、苦しめ、上下の差による時代支配にはうんざりだとと言いだしている。それに誰が同調し、誰が進めているかも段々とわかってくる。マスコミは最後までウソで固めるだろうが、ではマスコミの言うことを信じていれば食っていけるのか、という段になって、人々はもう気付きだしている。そうだまされていた、、、ということを。だましてこなかったものは、深く根を張りだしてきた。名もない日本人の多くが、それぞれの場所で、現地の人に誠意をもって行ってきた数々の人間的な行為が、段々と評価されてきている。日本人は自分の損失を顧みず、我慢するどころか喜びを持って現地の人に残してきた多くのものがある。国もそれを無視し、マスコミもそれを無視しても、現地の人はそのことを忘れないでいてくれている。人のよい日本人が海外で怖い思いをする国もあるが、私たちの善意を知り、温かく迎え入れてくれる人も多くなっている。日本の生きる道はこれからもこれ以外にないだろう。人を殺す技術は白人にまかせ、日本人は人を助ける技術で、人を癒す技術で、その心で、世界に出ていけばいい。その心で日本を立て直せばいい。それだけのものはすでにもっている。天王星の解釈は日本人にしかできない時代に入りつつあるというと、誤解されると思うけど、日本が優れている的な優越感ではなく、戦争を放棄した日本人の心でしか解釈できない技術力、融和力があるということだ。二発の原爆の悲しみを、恨みではなく、戦争を起こす人間の悲しさとして理解した国民でなければできないものがあるということなのだ。原爆で亡くなった多くの人の魂を慰めるのは、仇をうつことではなく、戦争を起こさないことにあるという、私たちにとっては当たり前に思えるこの思いは、世界では悲しいかなまれなことなのだ。それだからこそ、日本でしかできない技術があり、日本でしかできないものが多く産出され、それがこれからの世界にとても重要なものになっていく。新しい政権がどういうものか私にはわからないが、何しても結構だが、この日本人の力を正しく評価し、そうしたものを推し進める政策を打っていかなければ天には受け入れられまい。なぜなら、そういう時代になっているからなのだ。