書きたいことはあるけれど、、、
いろいろなことが起きている。書きたいことはいろいろとあるが、もうしばらく様子見をしてみたい。しかしいずれの場合もよおく事態の成り行きを見ていれば、おのずと答えが出るケース。本日の宮崎知事の緊急事態宣言でも、九州の畜産の消滅は当然としても、、、という凄い事態であることがわかる。なぜこれほどまでのことが起きているのに、マスコミは騒がず、原因の究明にも消極的なのか、、、そのこと自体でこうした問題の中身がかえってわかってしまう、そういう成り行きとなる。もうだませない時代に入ったのだよ。16日の鳥越の報道番組も邪魔されずに放映された。このことの意味は大きく、日本は実はもう変化の過程に入っている。先の大戦でも、敗北決定はかなり前からわかっていたが、マスコミ報道は終戦までそうではなかった。今回も同じ。すでに決したものがあると思う。それは現在の国民が思っていることとはかなり違うだろう。私はこれからよい時代が来ると感じる。掃除はこれからなので混乱はあるのは当然だが、先にエネルギーの流れる方向があるため、ちゃんとした立地点に立ったなら、誰もが元気でやっていける時代になったと思う。立地点とは等身大の自分に戻ることであり、依存心の排除と深く関係する。
姿勢がやっぱり大切なのだ。関係ないが、姿勢でおもったが、私は足は比較的丈夫だが長時間歩くと足の付け根に違和感があった。そのさいに足の意識とコミュニケーションをとったところ、足がまっすぐの姿勢をとることを理想としていたことに気付いた。ガニ股にならないように、また内股にならないように、まっすぐに向く、、、という暗黙の理想を足に強制していたことに気付いた。そして、もっと自分の足が本当はどうしたいのか、、、と、問いかけたところ、左足はもっとガニ股になることが自然であると思っていることがわかった。そして歩き方をややこれまでよりもガニ股スタイルに変えたところ、疲れがまったくなくなった。自分の正しい歩き方を、私はおそらく40年ぶりぐらいに取り戻した。人間は歩き方ひとつでも、このように自分で自分を呪縛しているものなのである。おそらく呼吸の仕方も、視力の使い方も、食べ方も、何もかも、同様かもしれない。本当にそれは自分の体が求めているものかどうかは疑わしい。多かれ少なかれ、私たちは自分が勝ってに思っている理想に縛られ、自分の体をしばっているだろうと思う。体でさえそうならば、心はましてましての話しである。止まらなかった咳もこの要領で尋ねてみたところ、私は肺や胸部を人一倍保護していることに気づく。なで方のせいもあるだろうが、肺が狭まる姿勢になりやすかった。これは自分の防衛心から来ていることが感じられた。そして強制的に寝る際に背中に枕のようなものを起き、胸を強制的に広げる姿勢で寝たところ、その効果は抜群であった。何をしても治らなかった咳がみるみる改善。姿勢とは恐ろしいものである
未来に向かう私たちの姿勢がいま、問われている。姿勢が本質のものでないと、私たちに見えてくる現実も夢となる。いま、この世は好景気を感じる人も不景気を感じる人もいると思うが、どちらも正しいのかもしれない。事実に即した姿勢が確かな現実をもたらしてくれる。私は40年間間違った歩き方を信じていたように、気づくまでは止まらない。しかしインチキ理想は負け、現実が勝ちだした。宮崎知事からも正直な怒りの言葉が聞きたいと思う。今回が最後の男になれるかどうかの試金石だが果たして。