夢の空手形

人生、夢が大切、、、
いつかきっと幸福になる、、、
高い目標に向かって、、、、

素直な子供はそんなことは考えもしない。夢が大切とかいつかきっと、、、なんて言う子供はすでに不幸な子供である。大人はほとんど不幸なので、そういうものに人生を託したくなる。今、幸福な人はこの日々がずっと続いてもらいたいと思うはず。いつかきっと、、、なんてかんがえもしない。人類は夢の空手形にやられてしまった。いつか幸福になる必要はなく、今幸福になることが正しい。夢の空手形は企業や国や支配者にとっては最高のものである。今は何も与えなくていい。いつかね、、、そうそう努力してればいつかきっといいことがあるよ、、、と、気持ちが悪い話しである。
 最近の若者には、あまり夢がない、、、という批判を聞くことが多いが、それでいいのではないか。先の幸福よりも今、自分の手ごたえの中での実感や快適さを求めて何が悪いのだろう。今の生活を犠牲にしてでも働いてくれない、、、という企業サイドの不満でしかないと思う。もう企業などに命なんかかけては馬鹿らしすぎる時代に入っている。やりがいがあったり、それが好きだったりするならもちろんかまわないが、我慢して会社のために自分を犠牲になどする必要などない。つまらない上司は、君には夢はないのか、、、などと部下をしかるかもしれないが、気にしないことだ。何ひとつ今の自分に満足していない上司などに夢など言われても、そんな夢など欲しくもない。なぜ夢が悪いかというと、夢は利用されつくされている。すべての投資も夢からスタートする。人をだますのは夢が一番なのだ。夢を語れば、夢を見せれば、いくらでも働く、いくらでも金を出す、、そうやって地上のビジネスができ、ビルが建ち、人が働き、未来の金を持ってこれた。そしてそのほとんどが空手形となった。現実に立脚していたビジネスはかろうじて利益を上げ、今なお続いているが、夢の部分が多かった仕事はもう見る影もない。その最高度のものがデリバティブ取引だったわけで、無残なことになった。変額保険なんかも同様だろう。夢を見た人はこれから現実を見せられることになっていく。もともと現実で生きている人はギャップが少ないが、夢と現実のかい離が大きかった人は苦しいことになる。国で言えば、現実と夢のギャップが大きかった国から厳しいことになる。アメリカはそのトップランナーだ。すでに厳しい現実が民衆におそいかかりつつある。こうなると、夢というのが本当は罠であったことがわかる。なのに、まだ一般レベルでは、夢とかいつかきっと、、という考えが主流というお粗末さは、マスコミの影響によるものだろう。底流のヒスパニックだろうが黒人だろうが、今あるもので幸福になろうよ、、、、という生き方をしているアメリカ人はどうにかなるだろうが、夢に生きていた人は厳しい。日本でも同じだろう。ここは目を覚まし、現実立脚の観点から自分の人生を見直さねばならない時期にきている。夢をあきらめることには抵抗があるだろうが、夢をあきらめるというよりも、夢にだまされていた自分自身の解放と考えるとわかりやすい。そして今、自分にあるもので、自分の周囲にあるもので、今の自分自身で幸福になってしまう。いつかきっとを、今ここで、、、に変える。今ここでできないことは一生できない。今、ここで隣の人に微笑めばいい。今、ここで隣の人と親しくなればいい。今、ここで自分自身と和解し親しめばいい。夢があると、いつかきっとがあると、今の自分を許せなくなる。そして誰かが与えた価値観に縛られ、自分を失う。夢への期待値と自分の嫌い度は正比例している。今ここで、の意識と実践は必ず自分を愛することにつながっていく。夢で集めた金もいずれパーにされる時期が来よう。ひどい話しである。最初から口の悪い人、、はっきりものを言う人などは怖くない。夢を語り、ひとを集め、金を集める、、、そしてかっさらわれてこの時代は終えた。新しい手ごたえは、今、ここで、、、であり、夢を追うのではなく、現実を夢にしていく、今を天国に変えていくやり方。今くつろぐ、今わけあう、今助け合う、今笑う、今親しむ、今食べる、今息をする、、、仕事の後のビールも確かによいが、巧妙な夢のやり方にはもうだまされてはならない。