ウオッカ引退
ウオッカが引退するらしい。オークスを捨ててダービーに挑戦したメス馬ウオッカは並みいる男馬を蹴散らしてゴールを駆け抜けた。60数年ぶりのメス馬によるダービー制覇だった。G1を7勝、東京競馬場では本当に強かった。東京1600の安田記念では、ウオッカの単勝にもういくら賭けたって間違いない、という気持ちにさせた。ドバイ遠征を見て調整されていたが、鼻出血のため引退を決意したらしい。あの伝説と化したディープインパクトも唯一、フランス凱旋門賞でケチをつけたが、日本馬は海外では何かと不利があるような気がする。とくに凱旋門賞では非常に後味の悪い結末になった。私は本当はディープインパクトが一番強かったと思うが、完全な調整失敗に終えた。現地の医者に言われるままにしたのだろうが、その結果、禁止薬物による3着失格となった。そんなことがあるのだろうか。ディープを勝たせたくなかった黒い包囲網はなかったのか、、、武豊もフランスでの出来事を決意したように何も語らない。あれから武豊もなんとなく運気を落とし、長いスランプのような、もしくは長期間敬遠されるような、そんな不遇な時期を迎える。何かあったのだろう。禁止薬物が凱旋門賞の最有力馬から発見されるなど、日本の調教師や騎手はもちろん関係者たちがそんなミスを犯すはずはない。新幹線なども日本の新幹線の方が本当はフランス新幹線よりも性能がよいのに、あえて最高速度をフランスに譲ってきている。これも何かあるのだと思う。暗黙の約束というか拘束のようなものがあり、敗戦国の日本は、戦勝国のプライドを傷つけることが許されていない、、、という何かがきっとあるのだと思う。新幹線を真正直に作ってきた技術人は本当は心の中で悔しい思いをしているのではないだろうか。ロケットも作らせてもらえなかった、、、敗戦国は宇宙に目を向けてはいけないというルールのようなものがあるのだろう、、、スポーツなどでも、日本が得意とするものは、どんどんルールを変えられ、日本だけが不利となる変更ケースばかりとなる。ここまでされてきて、何もないと感じる方がおかしい。目に見えない戦勝国ルールが世界にはあるのだろう。
しかし、彼らの手におえない文化の面だけは、これは素直な庶民の人気が左右するものだから、ごまかせない。服のセンスも流行するものも、コントロールできない。支配者がコントロールできない文化で日本は勝っていけばいい。それによって世界の人の意識を変えてしまえばいい。これから日本の文化が世界を席巻していく。これだけは誰も止められない。どんなに反日宣伝をしても、若者は日本の文化を楽しんでしまう、、、日本にあこがれてしまう、、、日本人のようになりたいと、そう思うようになってしまう、、、そして憧れの対象となる日本人イメージとは、日本を支配している力とはまったく関係ないところにある。日本の官僚的イメージなどは、絶対に世界では流行らない。日本を支配していると勘違いしている者たちが実は日本を代表しているのではない。反対である。学校でも、会社でも、むしろ馬鹿にされ、困りものと思われていたような、それでいて心がやさしい、そういうものの中に本当の日本の可能性があり、世界が魅力的な日本として認めるものは、そういう中にある。日本はだから本当のところ、日本的なるもの以外の手で支配されているということなのだろう。文化は正直である。そして今度は文化が勝つ番にきている。落ち目の生意気な勘違い権力主義者にかわって、感性のよい、やさしい、温かいものを持つ、若者が日本を代表していくようになる。それが本当の日本らしさだ。明治以降も、大正も、昭和も、戦後も、平成のいまも、ほんとうの日本らしさはなかった。海外の力におもね、迎合し、国民を裏切ってきたものが上に立つ国であった。しかし、それが逆転を開始する。世界の人々に愛されてしまうものが、日本でも上に来るようになる。世界の若者たちが、だんだんと日本文化に触れ、それを愛し、あこがれ、真似、学びたいと思うようになっていく。アメリカがこれまで強かったのも、戦車や大砲があったからではない。アメリカ文化、戦後のアメリカ文化にあこがれる人が世界の大勢を占めていたから強かったのだ。そこを勘違いしない方がいい。ましてこれからは、文化的な憧れが急速に時代力となっていく。世界の若者があこがれる文化を日本人はもっている。自民党ではわずかに麻生だけがこのことを力説した以外、皆無であった。民主党は自民党よりはこのことをわかっているようだが、具体的な政策がどうなるか。若者の感性が大事なのだ。感性本位制の時代が始まる。日本の若者はおしゃれにおいても、音楽センスにおいても、たち振る舞いにおいても、食事センスにおいても、すでに世界を圧倒している。本音では世界の若者は日本の若者にある程度触れると、反発したくなるか、抵抗したくなるか、和合したくなるか、、、など、かなり具体的な反応を見せる。それだけ、意識し、無視することができなくなっているからだ。感性豊かな若者が多くなり、世界にそれを示し、世界の人がそれに憧れるようになったとき、日本人は有頂天にならず、自分らの時代になったと、これまでの白人のように威張り腐るような恥ずかしい真似はせず、あなたもこちらにいらっしゃい、、、と手を差し伸べてあげるだろう。それが日本の時代になるということである。時代をリードする力を持つ、金持ち、センスの良い人が、日本に住みたくなる、定住したくなる、日本人と結婚したくなる、、、。私が考える日本時代のイメージである。