メリークリスマス
クリスマスが古い冬至のお祭りと重なったことには意味があるだろう。冬至はもっともも陽が短いが同時にこれ以下はないという、太陽の復活の日ともなる。最悪の世に救い主が現れたことをダブらせたのだろう。イエスが実在しなかったという説も有力らしいが、私は何であれ、聖書に書かれているイエスの言葉は好きである。そこにははっきりと立法から愛へ、時代の変転を説く確信犯としてイエスは登場し、そこには実在と同様の力がある。イエスはしきりに先の時代のことを語ったが、それは人の子の時代、、、という言い方であり、まさに春分点がみずがめ座に至った現代のことだったかもしれない。おっしゃるようにまさに悪が時代を支配している。臓器の売買で誘拐殺される子供を、どう助けることもしない時代、このひとつをとっても、今の時代が悪の時代であることがわかる。よほどの大きな組織が許されてない限り、こうしたことは起こり得ない。薄気味悪い時代となっている。デフレで安い物価が多いが、アフリカやアジアや中国、インドの片隅で、売られた子供たちが自給数十円でこうしたものを作らされている。一日に20時間も働かせるというような話しも聞いたことがある。なぜ、こうしたことをふせげない。なぜ助けられない。それは上に立つものが悪だからでもある。戦争がなぜ起こるか、、最近ではそうした番組は作られない。あまりの嘘がばれてしまう危険があるためだからだろう。戦争は最大のビジネスだからそれを起こす人がいる。ということがなんとなく誰の目にもわかりかけてきたので、いわく言い難い理由で、戦争が起こる、、、という番組はもう作れなくなっている。彼らは戦争を起こし、同時に力ない平和運動も支援したのだろう。うまいやり方である。時代は急速に進んでいるので、マスコミが言うことがなんだか本当のこととは違うのでは、、、、という懐疑心が多くの国民に芽生えている。政権交代が可能だったのも、マスコミが必至に民主党を悪く印象付けようとしたためでもある。マスコミの操作に乗らなくなってきている人が増えている。ワクチンもどうやら余っているようだ。これで強制化されるようなことになったらいやだが、段々とわかってきている人が増えている。今年の通常のインフルエンザにかかっている人は、今のところ、ほぼゼロという。そんな馬鹿なことがあるわけがない。理由は簡単である。どんな風邪もすべて統計上は新型にしたいためだ。新型とその予防というセットになっているワクチンの路線が、いかに政治的なものかという証明になっている。これが複雑系の時代の面白さなのだ。ある特定の目標を持ってそれを進めようとすると、その目標達成どころか、まったく反対の事態を招くことがある。それが現代であり、複雑性が機能する時代だ。新型インフルを怖いものだという印象付けをしたいので、なるべく多くの症例を新型インフルにしてしまえば、それだけ統計上は多くなる、、、しかし、通常のインフルも新型としてしまうと、通常のインフルエンザの患者がひとりもいない、、、という珍事が起きてしまう。そのことによって、すべての意図がばれてしまう、、、。これが複雑系。だから陰謀や悪意を一方的に進めようとしたら、強制収容所にするしかなくなる、、、というのが、前々から私が言ってきたことになる。要するに、最初はうまく行っているようでも、一方的な意図をおしつけることは、複雑系の現代では無理だということなのだ。戦争もばれてしまった、、今度はイランでの戦争になるのだろうか。もう一回は破れかぶれでできたとしても、もう嘘は通用しなくなるだろう。我知れり、、、という時代はすでに訪れつつある。イエスがいようがいまいが、イエス的なるものを生みだした愛の力は、まさにこれからの時代のカギを握ると思う。
穴に落ちた子ヒツジをイエスは助け出した。するとそれを見ていて律法学者が言った。あなたは安息日にしてはいけないことをなぜしたのか。するとイエスは答えた。安息日に人を殺すのと生かすのとどちらがいいのか、、、。イエスは人をしばりつける律法を破り、愛に生きようとして、そのことを示した。クリスマスとは、愛が勝ったことのお祝いの日。ユダヤ人も日本人もアメリカ人もアーリア人も客家も華僑もゲルマン人も皇室も、すべての血は愛によって混じっている。純粋な血というのは、架空の概念でしかない。すべての者は地球の兄弟姉妹である。すでに愛が特権意識に勝っている。地球上の兄弟姉妹をあい争わせようとする意図はすべてにおいて間違っているのだ。もう争いは不要。お互いにどう生きていくかを考え行動するのみ。それぞれの立場を尊重し、それぞれが役割に徹すればいい。それが愛における平等。目は目、頭は頭、口は口、脚は脚。それぜれに向いている役に立つことがうれしいことになる。
とにかくメリークリスマス。