私が見ているブログ
愛先生のことがたまに載ってますよ、、、と言われてそのブログを拝見することがある。以来よく見させていただいているブログに、クレアなひととき がある。私の言葉など、大したお役に立たないとも思うが、よく引用されて、感謝いたします。私もそれ以来よく拝見させていただいているので、内容も似ている部分が多くなっているのだと思います。森田正馬のことに驚かれていたのがとても印象的でした。私は正馬の墓参りに行きたいくらいのファンで、確か四国にあると思うのですが。世界に誇れる精神療法が森田療法です。神経症から立ち直るには、人生そのもの、人が生きるとは何なのかを、魂の部分で理解しなければ、神経症は本当には完治しない。その方法を森田は延べ、実践した。森田がとくに凄いのは、自分の死において、弟子たちを集め、自分の死に際を見させた。まさに最後の授業を行ったのだ。森田は医者であったので、科学的な生命原理を理解している。「血圧はいくらか」「脈はどうだ」と弟子に尋ねる。弟子が答えると、「そうか、まだ30分は大丈夫だ。ああ、死にとうない。死にたくない。」そしてまた、「脈は、、」「血圧は、、、」と聞く。そして、「ああ、もうだめだ、、ああ、死にたくない」と言い続ける。森田が見せたかったのは、厳しい現実をだまさずに受け止める。そして、感情の真実も同時に受け止める。それが、
「ああ、あと30分は大丈夫だ」であり、「ああ、もうだめだ」である。現実を現実として受け止め、逃げない。そして、感情の真実をも正直に受け止める。「ああ、死にたくない」という感情の真実。しかし、当の森田は、すでにその気持ち以上に、これを最後の授業として、自分の死に様を弟子に見せていく。「いいか、よく見ておけ、、、」それが目標なのだ。複層の中の喜びに彼はいたっていた。死の苦しみ、怖さ、現実を最後まで受け止める強さ、それを弟子に見せる使命と喜び、、、苦しみの中の喜び、恐怖の中での歓喜、、彼は複層の中で現実と真実を捉える。「貧しい時には豊かさをうらやみ、、豊かな際には清貧を尊ぶ」そういう人情の自然を森田は愛した。苦しみだけの苦しみはなく、喜びだけの喜びもない。より複層的に人生を見ていけるか、より複層的に人生を生きられるか、、そこに人間の偉大さがある。この偉大さは、凡人でも行きつける偉大さであり、大きな自己肯定、、人間肯定に導く。クリアなひととき さんの中にも、今回、自分を特別な者と思ってはダメ、、、的なことが書いてあったと思うが、おっしゃる通りである。血筋の特別も、遺伝子の特別ももはや存在しない。純粋な日本人もゲルマンもインディアンもアングロサクソンもすでにいない。血は見事に混じった。権威や特別な地位や特別な生命条件などすでに物理的に存在しない。ヒトラーもユダヤ人だったという話しがあるくらいだが、血はすでに混じっている。血が混じるとは、愛がそうした。愛が特権に勝ったのである。なので、これから、血筋や権威や特別意識による差別化はすべて嘘である。イエスの言葉が全世界に行きわたるという意味は、まさに血の純粋性よりも愛が勝った時代を意味している。