無から有
水の低周波分解で夢のエネルギーを取りだす技術は、予測通り町工場のおじさんから出てきた。これからも同様だろう。無数の町工場のおじさん、おばさん、さらにおたくの6畳一間のアパートから人類を救う色々な技術が出てくる。大手の研究所から出てくるものはダメ。なぜダメかというと、それらは、一部の利益に供するためのもので、その時点ですでに業を持っている。散々ワクチンのことを悪く書いてきたが、もちろん中にはよいワクチンや効果のあるワクチンももしかしたらあるのかもしれないが、これからの時代、愛情のないものによって作られたものなど、あまり信用しないほうがいいと思う。その意味では、日本製のワクチンの方が外国のものよりも、数段は安全だという気はするが、それでも、あのエイズウイルスを血清の中に分かって入れた厚生省だ、とうてい愛情があるとは考えられない。本当に怖い時代になった。しかし、もう少しで人間の愛情に支えられた、本物の科学技術が私たちを救ってくれる絵が見えてきている。お願いだから、この流れは邪魔してほしくない。民衆がそうした技術の恩恵に触れてしまうと、支配できない、操作できない、金儲けができない、、、、という特権階級のうまみがなくなってしまう。だから、人類のためになる、本物の技術は隠され、邪魔され、インチキ扱いされてきた。こうしたことばかり研究している変わった人もいるらしいが、フリーエネルギーなど、かなり昔から色々なものがあったという。生物でも医学でもそれは同じだ。おそらく不老不死まではともかく、人間が150歳程度までは楽に生きられる方法がすでにあるのだと思う。しかしそれでは困る。全世界の人が半病人になってもらうのが一番いい。そう、金儲けのためにはそうなる。そして自分たちだけは長生きするように、絶対にワクチンも打たないし、添加物も接種しない、、、そうにきまっている。本当の金持ちが病気にかかったときに、すべてアーユルヴェーダによって治していたのを個人的にも知っている。数兆円以上の金持ちは、私たちが行くような医者などに行ってないのではないか。ビルゲイツなど、絶対に風邪薬など飲んでないと思う。超技術を民間の天才たちから取り上げ、それを嘘だとして、抹殺したのち、その技術や発明を上位者だけは得ている。すでに地球は完全な二分化に至っているのではないか。金持ちたちの最後の遊びは特権遊びになる。我々下級層との間に露骨な差異を作り、絶対的な権威でいじめて遊ぶ。その規模の小さいものは、企業でも機構でもどこでも見られるように、くだらないが普遍的なものなのだろう。しかし、中には、特権層の中に、極めて繊細で、美と芸術に秀で、宇宙の波動を感じ取れるように発展する人も出てくる。上の上の上の半分はこうした人種でもある。神か悪魔かはっきりしてしまう。ロシアの大統領が突然、人生の意味は愛情である、、、なんて言い出している。面白いことだ。あれは嘘で言ってるのではないと思う。プーチンへのあてつけでもないだろうし、本位はわからないが、自分の無力を感じた大統領が一人の人間に戻って自分を確認するために言っている。おそらく何かとてつもなく怖いものを見てしまったか、知ってしまったのだと思う。要職にある人が突然そういうことを言い出すことはない。何かあったのだ。マイケルジャクソンではないが、この世の悪魔の仕組みを知ってしまったのかもしれない。話しは戻るが、しかし上の上の上には、もしかしたら神のような人がいるかもしれない。何代にもわたってよいものを食べ、よい音楽を聴き、よい教育を受け、大切に育てられ、よく悪魔的なものを理解し、その上での、愛の希求がもしかしたらあるというケース。期待はもちろんできないが、これから苦しむことでおそらくはゆがんでくる下よりも可能性はあるかもしれない。人間は苦労するとどうしてもゆがむので、はじめは善良な人もあまり苦しむと悪魔的に変化する。逆に悪魔的な血筋の中にも、突然変異的に神のような人が出てくる。結構そんなことが時代のスイッチになってくれるのかもしれない。そして下も上もなく、文化は生きる意味と力を人に与える。特に音楽、歌。いま重要なことは、悪魔は悪魔になりきり、天使は天使になりきり、人は人になりきり、それぞれの立場で、それぞれの歌を歌う、、、その真実の音が、他の意識を変容させる。マイケルがなんであんなに支持されるのか、、、彼は人生の苦しさの中から、ロシア大統領のように、怖いものを見たのだ、、、そして、愛以外に戻る場所を見つけることができなかったのだ。その優しいマイケルのメッセージがきっとどこかにこもっていて、私たちの意識の変容を多少なりとも促進しているような気がする。私たちもそれぞれの歌を、それぞれの場所で、伝えたい相手に、届けること、それによって自分がいまここで生きていることを感動的に伝え、多くの奇跡が起きてくる。歌う歌のないものは、生き方が間違っている。何かにとらわれて生きているから歌う歌がなくなる。大好きな歌があった時、歌いたい歌があった時、誰もが幸福な時代を生きていたと思う。歌がなくなり、そして不安の人生となったのだ。再び、歌うこと。