鳩山演説

昨日、やっと開催された国会での所信表明演説は賛否あるものの、私はあれでよいと思った。これまでのものとはやっぱり違う。日ごろ私が言ってきたようなことを言ってくれたので、民主党は私のブログでも読んでいてくれているのだろうか。そんなことはないと思うが、内容はよかった。ただし、本当にそのまま進めてくれればの話だが、鳩山氏の顔には本気度が見えたので、記念すべきスタートと言ってもいいかも。みずがめ座時代の幕開けが日本から始まった印象すらもった。奇しくも、今年は木星がみずがめ座を運行中であり、首相自身がみずがめ座である。みずがめ座生まれは欠点は多いが、ひとつだけほかの星座とは違う特徴がある。自分の利益と全体の利益がぶつかる際に、純粋なみずがめ座は迷うことなく全体の利益を取ることができる点。鳩山氏がそういう人ならいいのだが。私もみずがめ座生まれで木星もみずがめ座にある生粋のみずがめ座だが、数多い欠点とは別に、全体の利益を素直に考えられる。はじめは人間はみんなそういうものだと思っていたのだが、段々とそうではないということが分かってきて驚いたものだ。ただし私は個人の利益も好きである。個人の利益と全体の利益は決して相反しないという心情と考えがある。お金を取るか、生きがいを取るか、、、という二律反するものでこれまで悩んだことがない。どちらもとれる道以外は間違っている。とはいえ、それは恵まれた日本で、恵まれた時代に生まれ、恵まれた環境で育ったからであり、厳しい中でどうしてもゆがめられずにはいられないところで育った人も多い。しかし時代の進歩、テクノロジーの進歩を人類に素直に返してもらえたら、誰ひとりゆがむことないユートピアが作れる寸前にまで来ている。もう本当なら試練を通さずに私たちは新しい時代を築けるところにいるのではないか。鳩山が述べた理想を、現実味がないとか、よくわからない、、という反応をした議員が多いようだが、これからは算術では動かない。本物の理想でしか動かないことを彼らはまだ理解していない。やあ、本当に人類はよくここまで来たと思う。改めて、富岡の製紙工場でなくなって行った幾多の女性たちへ、無慈悲な上司の意地のために無益な戦闘によってなくなって行った多くの英霊たちへ、金にしばられこき使われ、人情の一遍も与えられることなく死んでいった多くの庶民へ、やさしく語りかけられる時が来たのだと思う。一面では国家や政治の無常は最大に達するだろうが、もう先は見えている。たとえ負けてもこれから死ぬ者はもう孤独ではないだろう。何が間違っているかをもう多くの人が気付き出している。昨日の所信表明でその姿勢が語られたのだから、政治にあまり期待しない私でも、感慨深いものがあった。もちろんこれからを見ていかなければわからないが、変化は起きたということである。その日にノリピー裁判を合わせたのが誰だかはしらないが、姑息な手はこれからも使われるだろう。しかしそういう勢力はすでに負けていることに気付いていない。