楽しみ流星群
現在、オリオン座方向から流星が発生中。23日まで続くとか。明日から空のきれいな信州へ行くので見てきます。12年ほど前にあれはしし座流星群だったと思うが、流星はもちろん、真夜中に火球まで出現した。火球を見たのはあれが最初で、以来見てないが、とにかく凄い迫力でした。流星が目の前で割れて粉々になり、金粉をまき散らしたのを見たときもはびっくりした。天体のショーは意外性に富んでいます。人間にはふたタイプあって、夜空を何時間でも眺められる人と、そうでない人がいる。これは結構面白い人間タイプ分けになる。すぐにあきてしまい、寒いとか家に戻りたいと思う人は、やはり現実的な面が強い。一方、どんな寒くても工夫をして夜空を眺め続けようとする人は、現実に何か失望している面があるのかもしれないが、ロマンチストであることは確かだろう。私はどちらかといえば、仕事がらもあって後者のタイプだが、ベランダに布団を敷いて11月の寒空で明け方まで寝ながら見たときはやはりかぜをひいた。500個の流星をその時には見れた。明日から行く信州の家には月見小屋があるが、いつしか周囲の木々が成長して夜空を見にくくなってしまった。夜空を眺められる場所をどこかに確保しよう。
暗闇に輝く星は無意識の力をバックに背負い、それに飲み込まれることなく自ら光続ける意識の力を思わせる。意識があるところは無意識に呑まれない。人生、意識的に生きていくのか、それとも無意識に流されつつ生きていくのか、、どちらがいいとは言えないが、その違いはあまりに大きい。今日一日の命と思いつつ日々を生きる者の行動は意識的になっていく。何も考えず、何も決めず、何も気づかない、、、私もそうだがそうした無意識的な生き方では時々もったいないと思う。むかし、30人程度が24時間にわたって競う麻雀大会が年に一度あったが、私は一度だけ優勝したことがある。その時は、大会に臨む前に、とにかく手持無沙汰で麻雀の牌をくるくる回転させる動作を絶対にしない、、、ということを意識して決めた。そして、24時間それを通してみた。すると奇跡的に私に優勝が転がってきた。それは意識の力だったと思う。誰が人生を楽しむか、、、という問題もやはり意識にある。良いことが連続している人が人生を楽しむわけではない。困難の連続であっても人生を楽しんでいる人はいる。その違いはどこにあるのだろう。人生を楽しむと、意識的に決めた人が実は人生を楽しめるのだ。無意識では弱い。無意識では自分が自分でなく全体のコマとなるので、自分の人生を生きられなくなる。星の輝きと宇宙の闇とではその大きさは比較にならないほど闇が大きいが、星は小さくとも、その光、すなわちみずから輝く意識によって闇に呑み込まれずにいられる。私たち人間も意識的に生きることで存在の手ごたえを感じ、悩みから解放される。