夏のオフィスは今年は未定
昨日から信州にある夏のオフィスに行く予定だったが、飼っていた動物に不幸があり、今夏の信州行きは未定になった。人間の一生も短いが動物の一生はさらに短い。昨晩、一声高く鳴いたのを最後に息を引き取った。その直後に地震が起きた。
しかしお盆の季節のせいだろうか、夏はあの世とこの世の境が近い気がする。まだ温かい死体を抱きかかえて場所を移した時、青い光が飛び交って見えた。あれは死んだ動物の魂なのだろうか。
夏は残酷な季節と思うことがよくある。ふつうの場所では決して着ることもない水着姿で、若い女性は海辺の町を歩く。それが秋や春ならありえない光景でも、真夏なら違う。その若い肢体を見るとき、青年は残酷なものをそこに感じないだろうか。少なくとも私は思春期の時にそう感じた。水着の女性は日ごろ見るまるまるさんとは異なる。女性であることをはっきり表さなくてはならない舞台設定。性を介在した非日常の夏の世界がごくごく短い間に繰り広げられる。夕暮れとなり、食事を済ませ、夕涼みに出る男女の一日は、人の一生に似ていないか。短い夏、短かく生きる者の一生。夏の残酷さは女性も同じだ。まぶしい肢体を夏の太陽にさらす残酷な時は短い。ああ、それにしても人生とは何なのか。少なくとも、PTAとか、平和運動とか、預金残高とかいうものとは、違うことだけは確かである。
写真の小さな池には色々生き物が住んでいる。シマドジョウ、めだか、なまず、はや、沢ガニ、川海老、、、小さな池だが、生き物がいると思うだけで楽しくなる。しぼり水がたまる池で、一度雨が降ると二週間は水が切れないので、大体一年中水が流れている。そのため、はやも元気で生きられる。ちょっと狭くてかわいそうだけど。近くの小川から取ってきた生き物を放した。小さなカメを放したら、すぐにオタマジャクシを食べ出したのには驚いた。カメって小さくても結構どうもうなのだ。