恋愛本位制

社会の仕組みには資本主義も共産主義もあるが、もっといいのは、恋愛本位制ではないか。この世の価値のかなり上の方に恋愛を位置づける。社会システムも経済システムもそれによって動いていく。資本で社会が動かせるのなら、恋愛によって動かせないはずがないと思う。テレビやマスコミを利用して、それこそマインドコントロールに近いやり方でいろいろな商品を買わせようとしているが、そんなみみっちい真似をするよりも、しっかりと恋愛本位でものを買ってもらうほうがもうかるのではないか。恋愛は究極の自己実現とも関係するから、魂にまでその影響は当然入り込む。車も家もおいしい食事も、そのほとんどの購買動機の大本は、恋愛欲求と関係している。愛する者の存在抜きに、車も家もディナーも存在しない。すでに結婚している人でも、恋愛本位制でまったく問題なし。その対象が配偶者であり、家族であっておかしくない。配偶者や家族に対してそうした心の交流ができない場合は、恋愛感情本位で日々を生きることもできるわけで、それでも十分である。人間活動の基本に恋愛欲求を置くことで、実際に相手がいようがいまいが、矛盾は起こらない。神だって実際に見た人はほとんどいないのだから、恋愛本位になっても問題なし。だいたい、北がミサイル発射とか、、イラン攻撃とか、イスラエル戦艦がスエズを渡ったとか、、、恋愛と関係ないところで世界は動いているように一見感じるが、実際はそんなことはあり得ない。金しか関心がない冷たい会社のトップだろうが、戦闘行為にしか未来はないと思う人も、結局は恋愛の不満足や劣等感から来る代償としての金であり、武力であるというのが、本当のところではないか。恋愛に関連した劣等感ほど強いものはなく、この虚無を埋めるために、気付かないために、人は金も追うし、戦争だって起こす。だから最初から、この恋愛本位とすることで、その正しい体験、正しい、終わり、ただしい解釈ができるようになれば、結構この世はユートピアに早変わりするかもしれない。昔、ピンク映画の監督をしていた人の言葉が忘れられない。この世は右だって左だってどうだってよく、、、性が解放されたおまわりさん、性が解放された先生、両親、パン屋さん、やくざ、泥棒、、、みんなが解放された性ばかりなら、こんなに楽しい世の中はない、、、町はない、、的なことを言った。その通りだと思った。さらに恋愛本位なら性の解放も当然含まれるから楽しさ倍増するだろう。恋愛の重要性を知り、その価値感を胸に毎日のパンを作る人がこしらえたパンはきっとうまい。おまわりさんも人を見る目が違ってくる。販促切符を切る際にも態度が違い、そこにはうるおいがある。規則、権利、義務、という牢獄本位制の時代が恋愛本位制の変わる楽しさ。どんなに金持ちになっても、五輪真弓が歌う、「恋人よ」一曲の世界に勝てはしまい。麻生など、最後は自分の人生を解散時に見せてしまえばいい。おじいさんは「ばかやろう解散」だったが、麻生は何か歌でも歌って解散するというのが面白い。政治の価値観を離れ、金の価値観を離れ、自分の人生を見せつける。馬鹿だ馬鹿だと言われ続け、確かにそうだから仕方ないけど、お前らよりも日本人の心は持っているぞ、、というところを、歌や何かで示してからやめる。粋なところはあるはずだから、麻生ならできるはず。そのくらいしなくては、面白くない。馬鹿な古賀、馬鹿な東国原、結局は冷たい計算しかない公明、大阪知事、情けを忘れた日本人の馬鹿どもに、一言、何か自分の生きざまを言ってやれ、、と思う。なんだかんだ言って、私は麻生はそんなに悪い人には見えなかった。ただ仕事を間違ったし、よってたかって周りに振り回された。しかしあれだけ孤独の際にまで行くということは、人生の価値観の大転回のチャンス。一種の超越した思いを最後に日本人に示すことで、勇気ある生き方、金や権力よりもずっと価値のあるものを示せ。それが最大の仕事になるはず。まずできないとは思うけど。ダミ声で、最後に、麻生にしか吐けない言葉を言ってから去って行けば、日本人の覚醒に一役買うこともある。要するに辞世の言葉と同じ。見事な舞台が麻生に与えられているのにと思う。これも恋愛本位制の考えだとよくわかってくる。そうしたことの方が今は重要なのだ。もう金や権力ではないよ。麻生は自民党の醜さを本当に引き出してくれたと思う。そのため自身は苦労したけど、総裁選不利を見越して中川などの馬鹿な画策を引き出したし、どうせ裏で小泉などが手を引いたものだろうが、とにかく醜いものを引き出した。公明などもヒステリックに自民に迫っているのだろう。麻生は人間とはこんなに醜いものだったかと、本当に今思っていると思う。きわまった世に、腐敗した世に、まるっきり反対の価値観を堂々と出す。そうした英雄の仕事が最後に待っているので、頑張ること。舞台装置は整いだしているよ。