ファチマの聖日

確かきょう、5月13日はファチマの聖日だったのでは。うろ覚えだが。ファチマ予言が一時騒がれたが最近はあまり聞かない。毎月13日に聖母マリアがあらわれて太陽の奇跡などを大勢の人に見せた。そして迫りくる世界の脅威について言及。ファチマ予言のもっとも衝撃的な部分、第三の予言は公開されず、バチカンにしまわれた。これもうろ覚えだが、聖母はその時期をルチアやヤシンタなど最初に接触した子供たちが生きている時代に起こると告げる。今でも当時の子供たちは存命なのだろうか。私も関係はないが、太陽の奇跡とまでは言えないかもしれないが、太陽の不思議な現象を見たことがある。医者であり前世を解き明かす治療としても有名なO先生が私の信州の別荘にいらして、沈んでいく太陽に向かって、アマテラスオオミカミの10文字のマントラを唱えましょう、、、と、7-8人で唱えたところ、太陽が発する光が生きているウエーブのようになって金色の波となってやってくる。まあ、これまでに見たことのない光景を見た。アマテラスのマントラに反応する太陽。私はファチマの予言をその時思いだした。ただファチマの奇跡はもっともっと凄いものだったらしい。神秘現象として語っているのではなく、天体も生き物であると考えれば意志があり、記憶があり、未来を見通す力があるのではないかと思う。とくに太陽と地球は我々の存在と大きく関係している。太陽は太陽系の未来を含む状況をすべてわかっている、、、と思ってもおかしくない。また地球も生命体と考えたほうが正しいと思うが、これから起こることを知っているだろう。このところ火山活動に異変を感じるデータや現象が出ているという話しをよく聞くが、それは我々が抱く想念や行いと連動しているのだろう。人心の異変は天地の異変と連携する。少なくとも相関関係があるというのが占星術の立場でもある。くれぐれも地球を怒らせないこと。太陽を怒らせないこと。恐れを知るとはこのこと。私たちは恐れるものを近代になって間違えた。私たちは人間を恐れるようになるにつれ、自然界をないがしろにしだした。人の評判、周囲と自分の差異、上位者の意向、、、そんなこんなに気をつかいながらも自然にたいしては傍若無人にふるまった。地球は人を罰したりはしない。しかしダメになったら人も地球ももろともダメになるので、地球は自分を守らざるを得ない。呼吸ができなくなった大地のアスファルトを一夜で剥がし、陸を海に、海を陸に変えることができる。デリケートな地球の営みを人間が阻害していれば、地球はそれを修正せざるを得なくなる。われわれは地球にやさしい、、、などと恐れを知らぬ言い方で納得するが、そんなものとは違うのではないか。地球や太陽をもっと恐れる必要があるのではないか。世界の火山が動き出している気配がある。人知に溺れたうぬぼれ頭が大体のところで上に立っているのがいまの人間世界だが、本当に彼らは利口なのだろうか。今、人類は本当は誰に従うか、何に従うか、をちゃんと考えたほうがいいのではないか。国やマスコミや企業の言い分を信じているだけでは自分を守れないのではないか。まだ自分を信じた方がいい。自分の頭で考える重要性が増している。いや、自分の心で感じる重要性と言ったほうがいいかもしれない。いずれにせよ、聖母マリアは70年以上前に私たちの未来について心配していた。そしてその時がどうやら近づきつつあるのだと思う。すでにだましの時代に入っているので、なかなか事実が伝わらない。こういうときは直接、あなたが地球なり太陽に語りかけ、自分なりの真実を見つけることが早いと思う。自然界は必ずあなたの個人の働きかけにも応じてくれると思っていい。そういうものなのだ。産土の神様はその地域全員の住所氏名などを知っている、、という楽しい話しを聞いたことがある。本要にそういうものなのかもしれない。産土の神、すなわち地球はあなたを知っている。おそらく太陽もそうだと思う。宗教もいいが、直接地球や太陽に語りかけてみたらどうだろう。黒住教の開祖はそれをやって開眼したらしい。また開運法としてだが、有名なものに毎朝日の出の太陽を心から拝む、というのがある。確かに開運するのだろう。やったことないのでわからないがそういうものだと思う。拝むというより、太陽に語りかける、、、というほうがいま的な気もする。真剣に思いをこめて行えば、きっと何かが帰ってくる。自然と人間には実はそういう約束があるのだと思う。語りかけてもらえなくなった自然、、、、そして人間も孤独になった。