職場復帰
多くの方が連休を終えて本日から職場に復帰されたと思う。さあ、がんばるぞ。と思えられる人は幸せだが、中には、ああ、、、また仕事か、、と感じる人も多いのではないだろうか。私は半年ほど前にあえて誤解を恐れずに言ったことで、仕事なんかあまり真剣に考えない方がいい、、、的なことがあった。要するに今やっている多くのことはいずれ徒労に終える、、、という直観だった。あのころと今とを比べてみるとさらにその思いは増した気がする。もちろん働らかなければ生活が維持できないので離職はできないが、この間にエネルギーを他のことにチェンジしていくことが大切だと思う。仕事にエネルギーをすべて奪われて、その後やはり徒労だった、、、となっては何も残らない。いま、経済は回収の時代に入っている。先取りしたものからの回収を迫っているが、返せるようなものはどこも少ない。すでに企業は奪えるだけ奪い、私たちから回収できるものなどなくなった。時給1000円が労働の最低条件だと思ったのは間違いで、今は時給1000円はかなり良いほうだという。気持ち悪い時代になった。企業の価値感から来る私たちへの要求に応じてきた結果、誰もが貧しくなってしまったが、これ以上の要求にこたえることは奴隷となることを意味する。やはりこちら側からみた対応を考えなくては時代に殺されかねない。こちら側からの対応は個々により異なるので何とも言えないが、ただどこにお金を使うか、、、だけははっきりと考えて暮らすことが大事だ。時給700円の仕事を一時間やる間に洗たくをしてクリーニング代を浮かせる、ご飯を5合炊いて冷凍庫に一回分づつ分けて蓄える、、、というような作業の方が結果的に自給700円よりも有利になっているという状況が出てきたりする。スターバックスが売上げを劇的に落として、かわりにマクドナルドが一杯100円コーヒーで売上を伸ばしているらしいが、これも考えようによっては意味のないことだ。マックなどでコーヒーを飲むのなら、高級ブレンドコーヒーを自分で入れた方が安上がりでおいしいコーヒーが飲める。まあ、この程度のことはみな考えてやっているとは思うが、もっと劇的な自衛を考える時代に至っているかもしれない。アパートの一人暮らしなどは無駄が多くて、その無駄のためにワーキングプア度を上げているとも言える。何人かでアパートの一室を寝るだけのシェアをし合う、、というような防衛策が実行できれば、月五万円の収入でも楽しくやっていける可能性がある。たとえば、月7万円のマンションを7人でシェアする。家財道具は基本的に持ち込まない。大きなバッグ一つ程度と決めればそんなには場所をとらない。食事は6時に変わりバンコで一人が作る。食事代として一人毎日300円を徴収。これで一か月一万円。アパート代負担で1万円。あわせて2万円で最低の暮らしが成立する。大都会でさえ。夕食は午後7時と決める。仕事優先でなければ決められる。7人がアパートの1室に7時までに戻る。夕食当番の人だけは6時前に戻って7人分のご飯を作っておく。7時から全員で食事。わいわいがやがや、意外に楽しい。一人の負担が300円だが、旬のもの中心に買いこめばそれなりの格好はつく。ご飯だけは多めに焚いておいて翌朝の朝ごはんのおにぎり用として残しておく。これで、7人の夕食と朝食が整う。本当に金がない人は昼飯抜きで我慢してもらおう。そうすれば2万円で暮らせる。しかも孤独でない。一人が7万円のアパートを借りてワーキングプアとなり、将来の不安を感じているような状態とは違ってくる。そんな生き方自体がこれからは間違っている。ひとり2万円でも命をつなぐ方法が本当にこうすればあるではないか。そのくらいの意識改革がこれからは必要なのだ。仕事に自分を合わせていたらそれはできない。自分に仕事を合わせても月に4-5万円程度なら稼げるだろう。最低月2万円の収入でも生きていける、、人間的に生きていける、、、となれば、私たちに恐怖はなくなる。つまらない上司の言い分にも対抗できる、冷たい政府の政策にも負けることはない。またこうした生活を貧しいだけだと思う人は間違っている。毎晩、顔を合わせて7人で食事をする。日曜日は私が炊事、月曜日は私、火曜日は、、、で毎晩つくるひとが変われば味にもアキが来ない。7名がただ黙って食べるわけではない。同年代の同じような境遇の者たちが、ああだこうだ言い合いながら食事をとる、、、それだけで楽しいし面白い。ここに新しい、これまで体験してこなかった価値観が生じる。生きることの本質的な面白さ、楽しさ、悲しさももちろんあるが、そうした高度な感情が育つ。夕食後は働きに行く者もいれば、ゲームで楽しむ者もいれば、テレビをつけるものもいる。就寝時間は12時に決め、みな雑魚寝スタイルは仕方ない。これを貧しいと考えるか狭いながらも楽しい我が家とするかは、メンバーの資質によるだろう。風呂にも入れる。病気になっても誰かがいてくれる。中には5万円以上稼ぐ人も必ずいるだろうから、いざというときには助け合いもある。こんな力強いことはないのではないか。いろいろな情報が7人もいれば入ってくる。その中には将来につながる有益な情報もあるだろう。おそらく数多くの漫画家を輩出したときわ荘などは、こうした暮らしから生まれた成功物語だったのだと思う。おそらくときわ荘の中には月に2万円も稼げない者も多かったのではないか。それがみんな金持ちになった。ものは考えようである。自分の生活、自分の守り方をもう一度、根底から常識を取り払って考え直す時期にきたのではないだろうか。それは単なる節約とは違う。単なる節約からは私はあまり多くのものは生まれない気がする。私は無駄が好きな人間だからそう思うのかもしれないが、そうではなく、7人のアパート暮らしのような中から生まれる新たな価値感や生き方、目的、人生の中に、大きな可能性と宝がしまわれているかもしれないということである。これまでのような誰かが作った、価値観、常識、考え、などから、早く私たちは自由になろうではないか。なぜ月30万円なければいけないのか、、、そんなこと誰が決めたのか、一流企業に入ることがなぜそんな意味があることなのか、誰が決めたのか、、、。もう嘘ではないか.日本を代表するような超優良といわた銀行ですら内情はどうなっているのかわからない時代なのだ。もう自分の価値感にそって楽に生きようではないか。