勝ち組負け組の逆転スタート

一時期はやった勝ち組と負け組だが、大体は負け組だった。しかしここに来て、その差がつまっているというか、逆転がスタートし出した。
 いま、一番困っているのは、仕事を失った低所得者層であり、派遣に代表される人たちなどかもしれないが、その一方で、これまで自分のことをエリートだと信じて疑わなかった人たちのほとんどがやられ始めた。具体的に言うと、一流企業などの部長以上だが、その中でも、不要なエリート意識を持っていた人である。一流企業の上層部でも人格的に立派で、エリート意識とは無縁の人も多いが、そういう人はあまりやられてない。やられているとは、要するに、デリバティブにやられている。日本はこの十年、西欧の金融デリバティブには完全な遅れをとり、たんなる円キャリートレードという潤沢な資金を世界にばらまく役割を担ってきた。小泉、竹中の時代は西欧の要請により、金利をゼロに固定し、世界に資金をばらまく役割を担った。頭のいい、エリート意識の強い人は、そうした状況を見て、自分も西欧のように儲けたいと思い、デリバティブに段々と積極的になっていった。麻布や六本木の億ションが飛ぶように売れたのがそうした時期だ。また、日本の銀行は西欧とは異なるのでその体質は大丈夫と言われたが、ふたを開けてみると、とんでもないことになっていた、、、というのが、このところの株価落下の原因である。銀行がそうなら、上の管理層の人間も同様である。面白いのは、ここに至る意識があるのだ。自分をエリートだと思っている人が抜け目なく、こうしたスマートに見える金儲けを逃さない。遅ればせながら参戦し、そして今散っている。10億持っていた人は十分の一、1億持っていた人は半分。それが現況である。返済の目途が立たないほどやられている人も珍しくない。今回の金融の崩壊は世界から金持ちをなくした点ではあまりに見事であった。アメリカではトランプ氏などまさかという人がやられている。そしてこれまで金銭重視で来た人には、それ以外の信じるべきものも、深い人生の営みもない。エリートの悲劇と言えばそれまでだが、結構大変な状態だと思う。一方、一般民衆も大変は大変だが、もともとあるものが失われたわけではないので、これからの不安はあるにせよ、家族もいれば、目の前の生活も変わらずにある。何より、友人や知人との暖かな関係もあるだろう。金を失ったエリートにはそうしたものがあまりない。自分を特権階級だと思ってきたのだから、心のふれあいが作る世界があるとは思えない。だから勝ち組と負け組の逆転がスタートしている。革命が起きている。負け組の個人が勝ったともいえる。ただし問題はそんな単純でもないだろう。どんな人も私は一列にスタートラインに立った、、、と考えるのが健全だという気がする。スタートラインからどこを目指すかは、人によって違うだろうが、もう金や力ではない。そういうものでは人が幸福になれない。金と権力の集中による時代運営は終えたのだから。前方に見えるのは、あなたのやる気であり、あなたの道を作る。あなたらしい人生を送る。私は自分の人生の芸術化がスタートしたと思っている。貧乏という芸術を楽しむ人生もいい、何かを作ることで自分の人生を芸術に仕上げるのも楽しい。子供を素晴らしい自分の生きた作品として世に送り出すことも見事な芸術だろうし、自分の家を芸術にする人もいるだろうし、平凡なサラリーマンの生活と人生を愛くるしい芸術にまで昇華させて満足する人もいるだろう。すべての目的が金と権力という貧しい時代は急速に過ぎ去っていく。歩き方で、しゃべり方で、笑顔で、自分の表現を芸術として高める人も素晴らしい個性を発揮することになる。なぜ自分は自分として生まれてきたのか、、、そのことを自分の人生を芸術化することで追及することの面白さが、時代のエッセンスであるような気がする。そうすると、実は仕事もうまくいく、経済もどうにかなる、家庭も楽しくなる、交友が豊かになる、自分を愛するようになり、人がすきになっていく。