恐慌第一波のいよいよ大詰め

金融大恐慌第一波の大詰めが近づいていると思う。前から言っていたように、来年度ヘッジファンド解約の期日があと二日と迫っている。本当なら今月の15日までだが、15日は市場はお休みなので実質14日が最終日だ。すでに多くは解約されているに違いないが、やぶれかぶれの最終日まで持ち越すファンドも多く解約に伴う売りは一定限度は出るだろう。本日の株価も下げたし、もうあと少し。14日が過ぎれば、一応の当面の売り圧力は消えるので、第一波の終了時期を迎える。20カ国を集めた緊急サミットは15日に開かれ、何の成果も出ないに違いないが、それでは困るだろうから、うまい日に設定したものだ。ヘッジファンドの解約に伴う売り圧力が消えた日にサミットを行い、月曜日から一斉に買いに入れば一応の格好はつく。まだ世界の連携がうまくいっている印象付けはできるし。ここを待って売り逃げしたい勢力もいるので大きく上げるかどうかはわからないが、いずれにせよ第一波は終わるころだ。大恐慌は数年もかけて訪れる。第一波が過ぎれば、市場は平穏を装う時期がしばらく続く。おそらく来年の春まで。その間に株価も戻し、商品もそれなりに戻すだろう。人々が安心するころ、再び恐怖の第二波が襲う。こうして何年もかけて市場は崩されていく。現在、金融の最終責任は各国の政府にある。銀行や証券、保険会社をつぶさないという申し合わせは、最終的に政府が負うことになった。それが国際的な取り決めだったが、どの国も政府にはおカネなどないのではないか。日本もアメリカも、とんでもない財政赤字ではないか。いくら国でもないところからおカネは出せない。いまはいくらでもおカネがいる破綻初期段階だから政府援助は仕方ないが、そのあとには気が狂ったようなインフレの道しかなくなる。現在の急速なデフレは現金の不足がもたらしたもので、今はいくらでもおカネを吸いこむブラックホールのようになっているから、デフレは続くかもしれないが、そのあとは大変なインフレの道。結局、おカネのない政府がおカネを刷って発行し、その裏付けもないままインフレに行きつく。いづれやってくるインフレには、金がリスクヘッジになるが、いま、現在、金価格は安くなっている。これはヘッジファンドの換金売りと、もう一つ、各国の中央銀行の金売りのためである。とくにアメリカはFRBの金を銀行に貸し出し、それを担保に金市場の先物で売らせることで、売り圧力を高め、金価格をおさえようとやっきだ。銀行はいくらでも今は現金が欲しいので、3万トンの金を借りて先物で売る。そうすれば金価格は下がるから、その利ざやをかせぐ。金は何回でも使える。売りなおしで儲ければいい。この仕組みは円のキャリートレードとまったく同じやり方だが、これにより、金価格を抑え、政府は通貨を守ることができる。通貨にとって、金価格の上昇ほど困ることはない。通貨が信任されてない証しとなってしまう上に、インフレを加速させる要因になるからだ。また銀行としてはいくらでも現金が欲しいから、政府が金を貸してくれるというのなら、いくらでも借りて、大量の先物売りをかければ儲かるにきまっている。しかし、それはいつまで続けられるだろう。現在は金のリース料と金利との間に差があるので金キャリートレードは可能だが、金利差が詰まった場合は儲からない。反対に損失の危険すらある。政府は金価格を下げてほしいが金利も下げざるを得ない。これももうすぐ使えなくなる手だと思う。政府の通貨か、金か、、この争いこそ究極の金融の争いなのだ。不思議なことに金価格は下がっているが、今、金を購入することは実は難しくなっている。金貨の鋳造をそこら中の国で取りやめている。または待たせている。金がないのだ。一般が金を買い、現物がなくなっている。私は今回の恐慌は、いずれこうなるとわかっていた連中がいると思っており、その連中が仕掛けた面もあると思う。あらゆる世界の富をすべて数か所に吸収しようとする試みでもあるだろう。金融工学を使った、アメリカ、イギリス、イスラエルの背後にある勢力と、多国籍化する勢力との争いとも受け取れる。そこでもし、中央銀行が金をリースし、先物で売らせた場合、もしも最終の決済の時に、現受けというのだが、現物で買い玉を買い取って、売りを吸収したとしたら、もう勝敗は決まってしまう。とんでもない金持ちで、このことがわかっていたとしたら、それこそ、全世界の富を奪う最終経済戦争に勝てるだろう。そう、最後に残った中央銀行の金、3万トンを買い取り奪うことができるのだ。そんな危険はわかってて中央銀行は金を貸しだしているのだろうか。それともわからずに金上昇を防ぐためだけに貸し出したのだろうか。経済大戦争の最後の最後の山は、中央銀行の3万トンの金を市場に出させ、それを誰が買い取るかで決まる。すでに金は市場に出てきた。お金があればそれを現受けできる。それが次のこの地球の支配者である。私たちはもうそうした流れとは別に、文化国家、文化的喜びの世界をつくることで、新しい流れを作ることが大切なのだ。