冬野菜
ずっと雨と晴れたら仕事の繰り返しでできずにいた冬野菜の耕作がやっとこの土日でできた。終えたとたんに雨で最高のタイミングでした。もう昨日今日を逃したら冬野菜はできなかった。大根の種付けもギリギリ限界。今年は寒いのでもしかしたらやや遅すぎた可能性は高い。あまり大きくならないかも。まあ、葉っぱだけでもおいしいから仕方ないか。小松菜、ホウレンソウ、株はどうにかなると思う。どうにもならないのは世界の株式市場だ。新たにドイツの不動産会社とイタリアの大手銀行が破綻まじかと騒がれている。助けてがあらわれなければ破綻の可能性も。欧州の不動産バブルはもの凄かったらしいので、本番はこれから。しかし冷静に考えれば世界の金融が崩壊するのは誰が考えても明確のはずだが、まだ大丈夫だとか思っている人も多い。完全に時期を逃した大根の種付けのように、一見葉っぱだけはそれなりに生えてくるからごまかそうと思えばごまかせなくもないが、大根を下さい、、という要求には永遠に答えられないように、今の金融危機ももう手立てはないと思う。あまりに破たんしたものの規模が大きすぎるためだ。CDSと言われるレバレッジで巨大に膨らんだ債権の総額が6000兆円とも7000兆円とも言われる。これがやられているのだ。はっきり言ってもう無理なのだ。ただごまかし続けることもできるが大根ください、、の要求が出てきたときに一軒、また一軒と潰れていく。もう少し一挙にドラスティックならば金融システムの総入れ替えによってどうにかできるかもしれないが、負については隠し通したい金融の世界においては、その体質を改めるわけもなく、気がついてみたら何もなくなっていた、、、という形での消息になるのだろうか。その場合はまだ10年もかかるかもしれないが、時間をかけて金融は崩壊。戦争を起こすか、金融システムを完全に変えるかするしかないところまで行くが、戦争だけはやめてほしい。星の上では来年は戦争の年でもある。土星と天王星が180度を形成する。このふたつの星が対立するのははっきりと戦争のサインである。しかしもういい加減にしてもらいたい。経済破綻、戦争景気、復興景気、、、そうした悪意に満ちた、金儲けのシステムはもうやめよう。戦争を起こす上の人も意識を変えてもらいたい。私はそれは文化の力以外にないと思う。戦争を起こして金儲けをするよりも、文化的な喜び、人と共に生きる喜び、自分だけが豊になるより、共に豊かとなる喜びの方がずっと上なのだ。金が人を幸福にさせることは実はまれである。金はないと生きられないので不安に結びつくために金の重要性が誤解されるのだが、本当は必要以上に多くありすぎると幸福からは遠ざかる可能性が高いのがお金なのだ。10年前に世に問うた著書、「森と平野に分化定住する時代」へと本当に時代が動きだしている。この本には現状打破のカギが書かれている。政府主導の地方の町起こし、村おこしのバイブルになっているのが私のこの本だという話しを聞いたことがある。私には何の挨拶もないので本当かどうかはわからないが、確かに日本の現状の打破のために、前向きに考えられている内容はまさに私が語ってこととほぼ同じだ。観光立国という言葉にもそれに近いものを感じる。物事の答えは決してひとつではないが、金をかけず、苦しまず、楽しみながら、日本と世界に平和と安定と喜びと、しかも金銭的な豊かさのすべてを達成できるものは、今のところ私のアイデア以外に知らない。私の家はもともと日蓮宗のせいか、こうした断定的な言い方に不快を抱かれる人も多いかもしれないが、馬鹿なみずがめ座の善意の情熱なのだ。自分を守らないから馬鹿なことも言うし、断定的な言い方もしてしまう。みんなでゆっくり考えて、、なんて言っていたら日本も世界もおかしくなってしまう。動ける人は動かなくてはいけない時代が来ている。私は文化的な喜びにこそ人の生きがいや魂のうるおい、そして経済的な発展の可能性もあると信じて、個人的に文化活動をしている。とくに本当に力のある文化はその根底に音がある。音と人間の関係を直感的にとらえ、自然や世界につながる音のありようを求めて活動している。倍音発声の可能性を手ごたえとしてつかみつつあることは、偶然の神様の後押しがあってこそであった。偶然の神様とは人が偶然のシナリオに沿って動くときに喜びとなって導いてくれる力なのだ。自分の都合のよいシナリオばかりをつくって動いてきた官僚や支配層が行き詰っている。官僚のように未来を直線的にか考えようとしない人は不安を動機として動いてしまうだろう。しかし時代のエッセンスは変化していると思う。もう戦争などおこしてもどうにもならないにきまっている。人を殺して儲けるより、人を幸福にして儲けるほうが儲けも大きくなる時代が来ている。本当にそうした方向に進めるのなら親分を変える必要もないのだから。