待ったなしの時代
先日、ジュセリーノさんとお会いして以来、何かはじけている感覚がある。大体いつもはじけている方だが、それがさらに増してきた。現代人が今やっているほとんどのことが大きな徒労に終わるという予感。本質からずれてしまったエネルギーの浪費は徒労に終わるのが運命。まず、個人に時間がない。時間とは自分のために費やす時間がないケース。みな忙しそうにしている。私もかなりそうである。しかしその時間は自分のために使っているものだろうか。意外にそうではない。仕事に追われ、何か追われ、自己実現のための時間は少ない。平の社員も課長も部長も社長までが自分以外の目的のために時間に追われている。そして結果として壮大な徒労が蓄積されていく。ダイエットの失敗などもそうである。はじめはうまく行くが、ダメになるとやがてドカ食いが始まり、目標は瓦解する。ドカ食い一歩手前でやめれば大事にいたらないのに、挫折感がその後の食欲に油を注ぐ。現代も汚染にしろ経済行為にしろ、すでにドカ食いの時代に入っている。だからいずれ大規模な瓦解があり、大きな徒労で終えることになる。大事なことはその流れに呑まれないこと。日常をすぐに変えることはできないかもしれないが、今、自分が乗っている電車はもうすぐ脱線する、、、という覚悟で乗っていれば驚くことも少ないだろう。物事にはきりがある。これから世界の人口は爆発的に増えるらしい。なのにそれらを補う食料や水はない。物事を悲観的に考える必要はないが、最悪の自事態を予想せずに楽観でいることはあまりに弱い生きかた。都合の悪い事実を最初に受け入れて人生設計をしたほうがいい。というか、それを本当の楽観という。楽観主義というのはだから、まず自分はいずれ死ぬ、、という事実を受け入れるところからスタートする。不変の愛もそうである。人は弱いので、今はこんなに愛し合う二人も、いずれは憎み、離れることがあるやもしれない、、だからこそ、今、ここで永久に愛している、、、という言葉が意味を持ってくる。本気で永久に愛することを前提として愛し合うなら、それはいずれ恨みや騙した、騙された、、、という世界に行き着いてしまうかもしれない。スタート時における覚悟が今後はとくに大切になるだろう。
しかし、今年の夏は本当に40度を超えるような熱波が日本を襲うのだろうか。毎年この調子で温度が上がっていったら、最後のドカ食い状態と同じで急激に温度の爆発曲線が始まることになるだろう。ジュセリーノさんの見た未来図は、まず、両極の氷が溶けて海面が7メートルも上昇する。その時点で世界の交易はほとんどストップ。港湾が使用できなくなるためだ。また、温度の爆発的上昇により、食料と水に深刻な問題が生じる。そしてさらに恐ろしいことは、これは登山家で医者の今井先生からも聞いたことがあるが、極の氷が溶けると、冷たい水が増えるわけで、暖流の流れがストップしてしまい、今度は急激な寒冷化が始まるという。ジュセリーノさんはさらに火山の大爆発も重なって、地球は急速に寒冷化するという。そして2050年前に地球の人口は8割も減少するという。生き残れるのが2割ということか。水を奪い合う抗争や食料難による人身の荒廃がその原点にあり、地球には暴力がはびこってしまうという。まるで聖書予言と同じことが起こるのだろうか。ただし、それはこのまま何もせずに居た場合ということだとジュセリーノさんは力説している。だから何かやって欲しいのだ。まずは一人ひとりの取り組み、となるが、エネルギーを使わない生活、そして何より、家族生活の重視。すべてはそこからだという。日本は列島が沈むらしい。日本沈没という映画があったがさすがみずがめ座生まれの小松左京は本能的にそれを読んでいたのかも。エドガーケーシーも同じ意見だった。一時日本人は世界に逃れ、そして再び隆起してきた列島に戻り、新しい時代を生きていくとか。私にはそれはよくわからないが、人間の心と時代がリンクし、それに天体の状況がかかわることは間違いない。だから実は心と生きかたを変えるのが天変地異を逃れる最上の方法でもある。あと、ものすごい技術がおそらく日本の町の工場から生まれる可能性もある。大企業では決してないところが面白い。やはり心が優先だからだ。さらに言えば、心ある個人の生きかたが問われる。私自身はもう50代までかなり好き勝手に生きて来たので、あとはおまけの人生だと心に決めた。本当に自分勝手に生きてきたと思う。自分のやりたいこと以外はやらず、義務で何かした記憶などないのだ。欲しいものを我慢したことなども一度もない。そうやってかなりの年齢まで生きてこれたのだから、残りはおまけだと思えるし、そう思えなければあまりに幼な過ぎる。そしてそういうときにジョせりーノさんと出合った。私も何か考え実行しなくては。私のやり方は一貫していて、それは文化の力による人間の魂の開放である。世界を牛耳っている人がこの世にはいると思う。しかしどんなに牛耳ったところで、地球自体が危ないのでは話にならない。自分のことを神よりも偉大だと思っているこの世の支配者にも、音楽の力による慰めが与えられたら意識は変わるだろう。地球を汚して儲けるよりも地球自然をもとに戻すことのほうが儲かるという実利もおまけでつくのだから、これは可能なのだ。アスファルトで地面を埋めつくして儲けたのだから、もうこれ以上無理してやろうとするよりも、今度はアスファルトをはがして自然の美しい妖精の通るような道を作ることで儲けて欲しいのだ。そのほうが儲かるに決まっている。そして感謝されたら、あの貧しい道路族の意識も変わるだろう。結局、病的な金儲けの根底には、自分が評価されない、感謝されないという劣等感の病理が潜んでいる。実の目的は金ではなく、そちらにある。だから悪人に良いことをさせて、彼らを本当に神のようにあがめてあげればいいのだ。良いことをしてくれればどんなにでも感謝しよう。悪人であれ善人であれ、良いことをしてくれればそれでいいのだ。そして善人などよりも、悪人のほうがずっと力がある。ずっと良いことができる。大悪魔=大救済者なのだ。その道を進む以外にもう無理。悪と争って、、、なんて考えているうちはダメで、だから時代は急速にイデオロギーに力を与えなくなってきている。偉大な悪魔にどう改心してもらい、その力で地球を救ってくれるか。救ってくれたら本気で感謝すればいい。すると彼らは大救済者として本当に神になれるのだ。だkら小さな善人は黙っていなさい。と言ったら言い過ぎかしら。写真は中華料理屋さんでジョせりーノさんと。