ダービーも終わり

日本ダービーもどうにか終わり、春のクラッシク戦線も残すは安田記念、宝塚記念のみとなった。今年のクラッシク路線は私の読みはけっこう当たっていた。ダービーは本命はスマイルジャックで、レース直前には間違いなくブラックシェルも上位に来ると確信。直線先頭でスマイルジャックが来たとき、やはりと思ったが残念ながら2着だった。しかし3連複はどうにかゲット。オークスは日記の予想とははずれたが、前日にいただいたユーザーの夢のお陰でトールポピーの単勝はゲットした。ユーザーの方の夢とは、オレンジ色の定期入れを見たというもの。この方はいつも大レースになると夢をご覧になり、これまでにも素晴らしい実績がある方。オレンジといえば7枠。定期入れなので通るで、トール、というきわめてあんちょこな夢診断がずばり的中したわけだ。というわけで私は競馬が好きだが、これはかに座の1度にある天王星の影響だと思う。かに座の1度、及びやぎ座の1,2度は一種のクリティカルデグリーにあたり、中世では落馬の度数である。現代では落馬は普通の人にはないが、どうせ勝てない競馬で夢中になるあたりは落馬と同じということだろう。馬が好きだから本当は乗馬もやりたいが、競馬で我慢しているというのを、言い訳にしているわけだ。言い訳というのは子供のすることだが、どこか楽しいものがる。言い訳は甘えだから楽しいのだ。しかしそれが通らないように年齢とともにどうしてもなっていく。それは甘えてはいけない対象に対して言い訳を言うためだ。日本の官僚や政治家の言い訳がつまらないのは、甘えてはいけない国民に対して言い訳するからだ。銀座の飲み屋のお姉さんとか、奥様に甘えて言い訳していれば聞いてくれもするだろうに、そういう前ではかえって威張っていたりするところに隠しようも無い病理が伺える。身内に甘えることはある程度仕方ない。日本の家庭では子供が親に甘えられないで親のほうが子供に甘えている。子共の失望感はどうしても大きくなる。よく言われることだが、途上国の貧しい子供でも目は輝いており、それにくらべて日本の子供の目は死んでいるという。確かにそうかもしれない。ただそれでもまだ大人の目よりはやはり輝いているだろう。本当に日本には大人と言える人が居なくなっている。未熟な大人の寄り合いがある困難を迎えたとき、どう対処し、どう乗り越えていくのだろうか。どう考えてもあまり期待することはできない。だから日本にはこれから大きな試練がやってくると思う。成人にいたるには誰でも本来は厳しい試練を乗り越えなくてはならないのだが、多くの日本人はまだそれを行っていない。そしてふわふわした状態で体だけが大人になった集合が寄り集まっている。集団で大人になるためのイニシエーションが訪れる以外にないと思う。明治維新でもばたばたしたが、さらに終戦後はバタバタした。それでもどうにか乗り越えてこられたのは、中にはジタバタせずに黙って死んでいってくれた犠牲の魂があったためである。現代だは上から下まですべてが自己保身だからそうした犠牲によって次世代を迎えることはできない。子供を犠牲にしてまで大人が生き延びようとしているのだから、問題外の話。だから今の一番の犠牲者は実は子供なのだ。しかし神はこれは許さない。なぜなら、子が先に死ねば種は滅び、宇宙の法則は瓦解する。子共を犠牲にして大人が生き延びる時代は許されないなら、大人が本当の大人になるための試練が訪れる。だからきっとそうなっていく。大人が子供を犠牲にしてまでも信頼している、お金、まずそこから来るだろうか。アフリカの貧困は深刻だ。しかしアフリカ大陸に住む人はその昔は白人が入る前は、今よりもずっと豊かに暮していた。搾取大陸とされて今に至ってこうなったのだ。白人の業はある意味深いものがある。しかし本当に面白い時代になってきたと思う。問題が本体にまで進んできているからだ。まだ貧しい人や子供は犠牲になるだろうが、一番最初に彼らが救われていくことになる。私は宗教は信じないが、しかし近代に生まれた多くの信仰宗教の下に、大本教がある。教祖の出口なおは、工場のサイレンが鳴るたびに、ああ、また女工さんたちが働かされる、、、というようなことを言っていたという。私はこの一言をとって、出口なおにかかっていた神がこれまでの神とは異なることがわかる。近代化とは、女性、子供、アフリカ、弱いものを搾取する形で進んできたのだ。その本質を忘れてはならない。そしてそれを許さない神も同時に光臨していたのだ。見せ掛け、印象、ムード、実態を隠すことで悪が自由に動けたうお座時代は終焉していく。ただ今はまさにそのピークである。しかし悪は花咲いたまま枯れていく。それ自体に力がないためである。搾取する以外に、取り付く以外に力ない王国の頂点に立てばそれは終わる宿命を宿す。奪うものをすべて奪ってしまったとき、お釣りは無い。だから小さくとも己が輝くこと。小さくとも、きちんと利益を出すこと。小さくとも自分だと思えること。小さくとも楽しい人生であること。小さな真実がエネルギー源となり自らを救ってくれる。アフリカの貧しい人々にプレゼントをすることも大切だが、彼らが昔のように自立できる環境、装置、やる気が彼らを救うだろう。日本の科学技術は愛によって裏づけされた進化を早く進めなくてはならない。水の問題も、食料の問題も、愛ある人から出てきた対策や技術以外は結局は人を救わない。小さくてもいい、今、地球は早く一人ひとりが大人になってくれることを望んでいる。そしてそのことが自身を救い、全体を救うことになっていく。