声と音楽
先日の日曜日は凄い風だった。東京では電車が停まったりとちょっとした春の嵐。私は高速道路を使って舞浜のシェラトンホテルへ披講をしに行った。1000人以上の前での披講だったのでどうしてもマイクを使わざるを得ない。ただマイクなしで一回実験したかったと今になって思う。マイク通しの声と生の声の違いがあるが、披講ではとくにその違いを感じる。生の披講だと全員の頭の上にボわーと音の渦ができてそれ自体が増殖し大きくなっていくイメージがあるのだが、マイク通しだとそれがなかった。そこで思ったのは、マイク通しの音は一種の偽装と同じなのだ。偽装音楽としての面白さはもちろんあると思うが、生になれてしまった以上はその違和感が大きかった。このことから私はこれからの本物の時代の到来を実感した。リアルな本物でないと心を打たない、、芸術でも生活でも対人関係でもそうなっていく。どこかから仕入れた自分の意見ではないもの、どこからから仕入れたものでは価値がない状況が急速に訪れている。大資本が一見勝ってすべてを支配しようとするその時に、大資本の根本の価値自体が急速に陳腐化しだしている。素晴らしいものはパバロッティの声ではなくて自分の声なのだ。自分の声でしか歌えない歌を歌う、、、自分の手でしか表現できないものをつくる、、、本物の自分への回帰が今後の人類のテーマになるだろう。それによって個々がアイデンティティというか生きがいを回復していく。それによらなければ地球自体の活力の再生が利かなくなっている。そう考えるようになったら不思議な展開が起こりだした。私のローズ化粧品マドモアゼル・愛だが、すでにかなりオリジナリティがあるものとはなっているが、大きなビジョンはまだ見えないまま、直感的にすすめてきたのだが、ここに来て見えてきたひとつの方向がある。初め、ヒルズをローズ農園にしてそこで精油をつくるなどを夢みたが、わずか1100坪のヒルズの広さでは無理がある。またコスト的にも無理があった。そこでまだ実現するかどうかはわからないが、どこかの国に理想のバラ農園を作り、そこで精油を作るという案。そう考えたとたんに偶然が重なって現実味を帯びてきたのだ。某国の大使館で披講をしたことが何回かあるが、そのご縁でもしかしたらこの絵が実現するかもしれない。心配なのは精油の成分だが、これも偶然が重なって精油分析の大家と知り合うことができた。某国で栽培されたバラから場合によってはブルガリア産をしのぐ成分が検出され、十分に魅力的な精油が作れることが実証されたとしたら、この計画には可能性が出てくる。私は気候風土からその可能性はあるとふんでいる。もしそれができたら、完全なオリジナルブランドとしてローズに取り組むことができるのだ。こうしたリアリティが本当に嬉しいが果たしてどうなるか。