来年の抱負
来年はすべてにおいてスローの時代になっていく。またその方がベターな気がする。文化はゆっくりしか育たないが、文化に限らず、よいものはゆっくり育つ。自然を見ればわかる。ゆっくり進むものには神が、急速に進むものには魔が。という言葉もある。自然界の増え方で最高のものが二倍だという。二倍以上に伸びるものは魔なのだ。現実のものとは異なる。競馬の配当で二倍は大本命だが、確かに競馬で財はつくれまい。あくまで遊びである。そこで財を成すとかえって危ないという人もいる。確かに3年前に私は競馬でバカあたりをして、そのお金をすべてドロボーに差し上げたことがあった。偶然ではあるが、二倍以上の増え方をしたものがあぶない、、、というのは何となく感じる。お金に限らず、スローがテーマ。ゆっくり何か始めようと思うが、何にするかそれこそゆっくりお正月に考えよう。たとえば、ゆっくりと一人づつに、お手紙を書く、、、なんてことも面白いかもしれない。週に一人に出すと、55人にも出せることになる。心のこもった55通のお手紙は、もしかしたらその人の人生を根底から支えてくれるものになるかもしれない。神様の開運の仕方がそういう感じではないか。心のこもった55人への手紙は、55人の強い味方を作ってくれるかもしれない。確か講談だったと思うが、夢も希望も失った女郎が、死を決意して、せめて人によいことをしてから死のう、、、と思う。しがない女郎にできることは客人に本当によい思いをさせてやる、、、ぐらいしか思いつかず、死を覚悟した女郎はそれを実践する。そのことが人生に悩む客の心をしっかりつかみ、、、話は急展開していくのだ。面白い話である。心をこめて何かを行い、そのことによって思いもしなかった開運をつかんでいく、、、これも神の道である。55人へのお手紙はおそらく時間的に私には無理だろうが、本気でやれば、きっとその人は開運すると思う。上級国家試験に合格する安定もあるだろうが、それよりも、きっと確実な開運につながる。にこにこして、ありがとう、、それ以外を口にしない、、、たったそれだけだってきっと開運すると思う。恐るべし、神様の開運法だ。会う人の良いところだけを真剣に探し、その点だけを熱意を持って相手に伝える、、、これを一年間やり続けても、きっと開運するだろう。さてさて、本当にどうしようか。会う人ごとに、その人のご幸福を、口には出さず、密やかに心の中でお祈りする、、、、これも素晴らしいだろう。口に出さずにやることで、神のみが知るところとなるので、これも確実な開運法だ。いや、最強の開運法になると思う。けんかしても、その相手の、幸福を口に出さずに祈る、、、表面は敵対していてもよい。これは間違いなしに凄い開運法になる。結局、不幸な人というのは、こうしたことの反対をやっているわけで、実は人がよい、ということもできる。運が悪いとか、不運というのは、単純であまりに近欲過ぎる、人がよすぎるのだ。だから悪人を決して悪く言ってはいけないというのも、神の道である。悪人こそ愛されるべき人なのだから。神の開運法を知って実践する人など、ある意味原理を知っているだけでずるいとも言える。ずるいかもしれないが、それが原理だから仕方ない。この世は実は極めて物理的である。だから神は悪人に目をかけたくなる。悪人のとくな点はそういうことに気付いて分かってくると、善人以上にそうしたことが深く魂に刻まれる点だ。鬼子母神のように、かえって偉大な存在となっていく。これは善人にはなかなかできないことなのだ。善人はしかし小心者でもあるので、無理せずに、神の開運法を使って、早く開運する、というのがありだと思う。