死刑執行待ちが100人以上

このところ死刑判決が多い。死刑が決まって刑を待っている人が100人を超えたらしい。被害者が犯人を憎むのは当然だが、宝石店で人質になって殺された娘の父が、7年前の話をしながら突然嗚咽を始めた。犯人は死刑になったが、父親は娘は帰ってこない。と肩を落としているのを見て、こちらまで胸が詰まってきた。なぜ悪いことがよくないかは、第一に他人に介入するからである。なぜ介入するかは、不当感をどこかに抱いているからである。自分の運命を自分が受け入れることが大人なのだ。人に介入しても殺しても、決して満たされないし、救われない。犯罪がなぜ問題かは第二に、それでは自分も幸せになれないからだ。人にはだれにでも神性があるので、悪いことをするとそれがつまずきになってしまう。消すことができなくなる。自分が苦しむ。悪いこととは、人に介入することなのだが、介入して自分の何かを満たそうとすること自体で、自分の神性を否定していることになる。だから苦しくなる。犯罪の問題は人間が神性を持つからに他ならない。どんな世紀の大悪人でも残念ながら神なのだ。だから問題があるのだ。悪の基本は人への介入。介入しないと生きられない、介入しないと得られない、、要するに神は自立し、悪は奪わないと生きられない。神の世とは、だから極めて小エネの世を意味する。少しのエネルギーで物事が動いていく。だから何も奪う必要がない。人間の生き方にも同様のことが言える。まず最初にやるべきことは、小エネでの自立を目指すこと。時代はしかし反対である。若い時代から、車を持ち、パソコンを持ち、服をたくさん持ち、なにもかも多くのものを従えるのがスタイルとなっている以上、小エネでありえない。となるとどうしても奪う必要が出てくる。他への介入が出てくる。そして人は自分が神であることを忘れていく。