普通の日記と相談のつづき
ご相談の続きから。統合失調症の方と真剣に未来を見据えてお付き合いしたい。その際の注意点というKさんの相談ですが、まず、特別な病気だと思わないことが大切。恋人ですからKさんは今のままの捉え方を続ければいいわけで、統合失調症は周囲の偏見がつくる病理なのです。患者さんと同じものを聞き、見たりすれば、おそらく多くの人が、同じ反応をしてしまうでしょう。なのに私たちは患者の言動を見て、それが一般的でないからという理由で、おかしいと感じて特別視してしまう。本当に聞こえるわけですよ。裸で走ればお前の一家は死なないですむ、、、というような脅しを。自分のことにしか関心がない人なら、知ったことじゃない、、、と無視できるでしょうが、心がやさしく、親思い、家族思い、の人にしてみれば、黙って見過ごせないわけです。ただここに問題があって、親思いでも家族思いでも、この人は家族から愛されているという実感はなく育っている。むしろ親や家族よりも劣っているという劣等感を抱き、申し訳ないというような気持ちを持っている。だから何らかの汚名挽回のチャンスにそれを退けることができなくなる。霊はそういうウイークポイントを本当にたくみにしつこくついてくる。家族から受け入れられてない、、、誰からも受け入れらない、、、そうした孤独と絶望しているときにこうしたことが起こる。だから注意としては、統合失調症になる人は必ず、何かで無理をしている、ということをわかっていなくてはいけない。やさしいので何かと気を使ってくれるが、その心の中の孤独を常に察してあげて、心理的な無理をかけないことが何より大事。やさしい人だが、それは無理をしているわけで、人間を信じていない、というはがゆさを感じることがあると思う。それほど孤独なのだ。しかしそのことを指摘しても責めるのもダメ。自然体が大切だ。霊が乗り移らない限り、通常はなんら普通人と違いはない。ただ霊はかなりしつこい。うるさく幻聴を投げかける。乗ってこないとなると、いい人ぶって、親切なことや面白いことを言って気をひこうとする。その際に、現実のお重みと幻影の誘いと、常にはかりがかけられる。現実に一縷の望みがあれば、統合失調症によって人生を棒にふることはありえない。単なる個性である。しかし現実に絶望しかないときには必ず、聞いてしまう。だから心理的に追い込んではいけないというのが、一番の注意点。あと、冷たい言い方かもしれないが、心を本当ににはひらけない、その孤独を理解してあげなければ、こちらが煮詰まる可能性もある。心を開くのは難しい。原因は見栄である場合が多い。理想や見栄がなぜ見られるかと言うと、失望しているため、理想にすがる構造が出来上がる。追い詰めることなく、いかに長い時間をかけて自然体に持っていき、煮つまらない関係性をつくることができるかどうかが、大切。また、患者はこの病気の原因が実は霊を持ち出すのが一番分かりやすいのだが、それはプライドから嫌うだろう。しかし、そう考えるとすべてのつじつまがあう、ということもいずれわかるので、かなりの信頼関係、というか安心関係ができあがってきたらアドバイスすることも必要かもしれない。病気のメカニズムが理解できたら、危険からはまず守られる。重ねて言うが、私は統合失調症は病気だと思わない。人間不信、これは両親に対するものだが、それに見栄と見せかけのプライドで生きようとする人間的な未熟さ、青年期の性衝動を意識する不安定な精神状態、、ある種のショックや追い込まれた状況、、、こうしたものが重なった際に起こる、特別なものでないという認識が必要。おかしな病気ではないのだ。それがわかればまったくもんだいなく、楽しく未来をつくることが出来る。
相談は以上にして、日記ですが、長くなったので、一度しまってからまた書きます。