芝生の上で跳ねるもの
この時期の暖かな日は危ない。芝生の上でピョンピョンはねるものがあるので近づくと、なんとマムシだった、、、ということがたまにある。冬眠の前にひなたぽっこをしているのだ。マムシは嫌われ者だが、本当は人間と仲良くしたくて仕方ないという話を聞いたことがある。マムシのほうは仲良くしたいのに、人間が恐がるので、マムシは傷つき、人を襲ってしまうと言うのだ。確かに赤ちゃんがガラガラヘビとなかよく遊んでいた、、という話もある。ヘビを人は恐がるが、彼らは人と仲良くしたいのだ、という考えは面白いと思う。熊だって同じかもしれない。もし熊に襲われて絶体絶命になったら、ニコニコしてこちらから甘えて抱きついたらどうなるのだろう。実際にやった人がいるらしい。熊はとたんによだれを流してゴロニャンし出したというのだ。本当か。人間も動物も恐がらずにこちらから甘えたら、危害は加えないものなのかもしれない。これは人間関係にも生かせる真理ではないだろうか。誰にも甘えてしまう、、恐そうな人の懐に自分から入ってしまう、、一番うまい処世訓がこれかもしれない。動物も人間も、自分に対する拒否や警戒しているムードを察して、相手を遠ざけるのだ。だから用心深く人を遠ざける人は損しているとも言える。誰にも甘えられる人、飛び込める人になれたらどんなに面白いことだろう。きっと、本当に面白いことが次々に起こってくると思う。なのに人はつい自分を守ろうとしてかえって窮地に陥る。赤ちゃんや子供は自分を守る力がないから、周囲が守ってくれる。こちらも自分を守ることを忘れたらいいのだ。人は成長していく中で、過去の自分を捨ててしまうから、すぐに赤ちゃんに戻れない。本当は捨てなくていい。大人になるということは、赤ちゃんを捨てることではなく、いつでも赤ちゃんに戻れるし、赤ちゃんでいられない場合には大人になればいい。要するに、何も捨てずに、いつでも年齢の選択詞がある、というのが本当の大人なのだ。人と接するとき、最初は赤チャンや子供から始まり、大人で対処しなくてはならないときだけ、そうする。かたくなに大人でいきていかなくてはならないと思ったら、人生、とても疲れてしまう。赤ちゃんの自分を捨てない、子供の自分を捨てない、学生の自分も捨てない、そして大人の自分に必要とあらばいつでも戻る、、、年を重ねるというのは本来はそういうことなのだ。学校を卒業する際、もうこれまでのような甘えは許されない、、、と思ったら、社会に出ることは苦痛になる。だから無理をしてしまう。赤ちゃんとして振舞う、子供として振舞う、通用しなければ大人になる、、、なんと気が楽なことか。写真は夕ぐれの月を撮ったものです。とてもきれいだったよ。昨日の月です。弓張り月というのかしら。しかし今、メモリーが見つからないので、写真は明日にします。ごめんなさい。