隠れた事柄
エイズはもう過去の病だとつい思ってしまうが、本当は凄い勢いで増えているらしい。あまりニュースに流れないだけだとか。経済的にも二極化が進み、お金に困らない家と深刻に困っている家と二極化らしい。表面を見ているだけでは何がどうなっているのか分からないのが、今の日本社会なのだ。日本に限らず、色々な事柄が限界に来ており、その限界を必死に隠すことだけは上手になって、問題は潜在して大きくなっていく、そういう時限爆弾がかなりあるようだ。現代の問題の最後の問題は具体的なものでは、電磁波だと聴いたことがある。パソコンがポピュラーでない頃は、確かに電磁波の問題をもっと大きく取り上げていた。最近はあまり騒がれないので、画面から出る電磁波は何かですでに解決しているのかと思っていたが、まったく何も変わっておらず、ただ騒がれなくなっただけだという。では、大した問題ではなかったのだろうか。そうではなく、やはり深刻なようだ。電子レンジの食べ物もまったく組成が壊れており、大変な問題なのだが、あまりこういうことを言うと、現代の生活にケチをつけているようで、周囲から愛されない。だが、待てよ、、、、と思う。そういえば、最近というかこの二三年で、人間が変わってきているように思えることがある。ひと言で言うと、へんな人が増えた印象。人に限らず、もしかしたら自分も変になっているのかもしれない。パソコンを常に使っているので、電磁波を常態で浴びてるわけだから。誰にも可能性があったら恐いと思う。知らないうちに進んでいっている現代の問題が、普通の個人を襲い始める段階にきているのか。そうだとしたら恐ろしいことだ。みんなで平等におかしくなっている、、という絵はひょっとしてあるのではないだろうか。みんなですこしずつおかしくなっているから、あまりそのことに気付かない、、、。しかし昔と比べてみると、物凄くおかしくなっていることが多い、、、という時代かも。大体、私は今、人生相談など、人様の悩みにお答えする仕事をやらせてもらっている。大勢の方々が聞いてくれているのは嬉しいが、私の知識など、自分ではまったく取るに足らないものだと思っている。なのにそれなりに通用し、時には感謝までされるに及んで、昔なら、どの町にも、私が言う程度のことを語る老人やご隠居さん、先生や町会議員などがいたような気がする。三丁目の夕日の時代には、本当にそうだったと思う。しかし、今の老人や先生や、ご隠居さんは、心について語れない。いや、語らない。さらに言えば、あまり関心がない。どうしちゃったのだろう。昔は私が語る程度のことは、人生の先輩なら、もっと内容を伴って語ってくれたと思う。心の理解、という点においては、現代の人は、本当に恐るべき劣化を示している。お陰で私は仕事ができるわけだが、断言できるのは、私程度の話は誰でもできたのが、わたしの子供時代である。どうしちゃったの、、、。食べ物が悪いのか、空気が汚れたせいか、電子レンジのせいか、、。私の推理は、現代人はあまり真剣に恋をしなくなっているからではないかと言う気がする。私の持論は恋をしないと人間は劣化する、という方程式にある。恋心は変わらずにあるが、少しでも傷つくと、すぐに守りに入って、もう恋なんか、、、と自分をクローズしてしまう。だから恋にいたらない。逆に恋にいたる場合は結構あんちょこで、真剣さが欠けたりして、単なる流れ、、、、だったり。苦しんで磨かれる、、、という体験が少なくなっている。本気で恋し、破れ、傷つき、それでも人生肯定の中で立ち直っていく、、、という体験が人の成長には必要だというのが、私の持論。真剣に恋し、それが破れ、苦しみ、立ち直った人しか、私は本当には信じないところが昔からある。これが基本で、これがないと人間が劣化するという偏見に満ちた持論なのだが、くだらない割りに本質を突いている気もする。世に恋愛関係は多いが、ウエイトが軽い恋、、なくなっても傷つかない恋、、その上に、電子レンジや環境汚染である。こんなことを言うと、愛先生のほうがなんだかおかしい、、といかにも思われそうなのでやめておくけど、みなさん恋はしてね。