秋の深まり
昨日は三連休の最後の日で東京郊外にある友人宅へ。緑の多い美しい町並みでとても気持ちがよくて、長いことお邪魔してしまった。秋の味覚がテーブルに並び、マツタケご飯がメインディっシュでした。本当は月がテーマの歌の会合でしたが、歌はそこそこに食べるほうがメインになってしまった。月のテーマで詠もうとしても、私にはたぬきに馬鹿された日の月のイメージしかなく、本気でつまらない歌しかできなかった。たとえばですが、月いでし細き急坂のまなかにて狸はつどい我をみつめる
、、、まるで歌ではないね。その後、撮った写真が怪しい月だったので、デジカメを見せて説明し、趣ある月の歌会とは言えなかった。しかし中に子供時代の田舎暮らしの話が色々出てきて、たぬきが人を化かす話に話題が咲いた。結構あるものだということもわかった。
秋と言えば、初秋と晩秋では趣が違う。この晩秋には私はテーマをもって歌会を企画することになった。これは披講学習会で上級の資格試験の受験資格のひとつに、歌会の主催があるからで、私はいにしえの秋をしのぶ歌会、と銘打って行う予定。上級試験にパスすると、自分でも披講を教えることができることになる。もちろん国家試験でもないし、民間の披講学集会内でのことだが、通過儀礼として意味がある。その昔、大工さんの仕事を見ていて、電気やさんや経師やさんや畳屋さんや、すべてのことを統括指揮しているのを見て、凄いと思ったことがあったが、歌会の主催も同様に、あらゆることを総合的に判断しなくてはならない。会の趣向、招待者、歌会の構成、歌そのものの選出、練習、披講の構成、なおらいの会食、軸、花、装束、場所、、、あらゆることを決めて実行していかねばならない。実は日本文化の根底にはこの歌会がある。お花もお茶も、装束も、礼儀作法も、食事も、絵画も、香道も、あらゆる日本文化が実は歌会の一要素として花開いて発展している。日本文化の統括は歌会によるものなのだ。これは天皇が主催することが多かったので当然のことでもあった。今、和歌披講はまったく知られていないが、ここが日本文化の総元締めであることがいつかは理解してもらいたい。そうしなくては、日本文化はいびつな形でそれぞれの発展になってしまう。喜びにつけ、悲しみにつけ、四季の変化につけ、歌会がもようされ、日本文化が発展してきた。春の訪れを共に喜び、秋の深まりと共に悲しむ、、、喜びがあれば歌会が開かれ、悲しみがあれば歌会が開かれる。それにより、歌により、当事者とそこに連なる人々が慰められてきた、、、これが日本文化の本質である。歌を失った日本人はいま、どこに行こうとしているのだろう。いにしえの秋を偲ぶことで、歌によってなぐさめられていたかつての日本の心に触れ、時空を超えた手ごたえを感じてみたいと思っている。これが歌の遊びでもある。