三丁目の夕日

BVDで三丁目の夕日を観た。出演者がみな楽しんでやっているのが伝わって面白かった。小雪も魅力を出している。東京タワーが建設されていく風景を私もまったく同じところから眺めた子供時代だった。映画に出てくる東京タワーの位置は私の通った南海小学校の前の三田通りと言ったが、そこから見る位置と同じだ。おそらく、札の辻の方から見ている。となると三丁目とは、三田三丁目のことだろうか。慶応や春日様があるあたり。映画に出てくるような商店街はただ三田通り界隈にはないから、曲がりくねったあの商店街の様子は、芝園商店街や芝神明の商店街をまねたものではないだろうか。おそばやさんが何枚ももりそばを重ねて自転車で出前している。本当はもっとずっと重ねて運んでいた。三田通りに町田やという蕎麦屋があり、出前の全国大会でなんかいも日本一になった人がいた。それは見事な高さのもりそばを自転車で運ぶ。ひとつの町の風景だった。望月歯科という看板も映画に出てきたが、確かにあった。上手な歯医者だったと記憶している。ただこれも偶然なのだろうが。路地裏に高級車が停まると子供たちが集まってくる、これも本当にそうだった。子供たちが石蹴りや縄跳び、で遊ぶ路地裏を、子供をおんぶ紐で背負った少年が、いつも歌を歌いながら通る。誰だかとおもうと、後の水原博だったことは、ここらへんでは有名な話だ。港区三田や芝というと、高級なイメージを抱く人もいるだろうが、私が子供の頃は路地裏はまさに下町風で活気があった。家々では七輪を外に出して、魚などを焼く。それをネコが狙っている、という漫画の世界そのものだった。三丁目の夕日の光景はよく当時を再現しているが、子供がもっと多かったと思う。また集団就職で上野駅に着く一団はもっと暗かった。みな下向きで、心細げに見えた。当然だろう。当時の、上野、上野、、、というアナウンスを懐かしく思い出す人も多いことだろう。東京というと、ずるがしこくあぶない場所、というイメージもあるだろうが、港区芝で4代目の私は生粋の江戸っ子だが、港区芝あたりの人にまず悪人はいない。これは本当に断言できる。3丁目の夕日の場所の設定はだからあの映画にあっている。西岸良平と言う人は、やっぱり芝界隈でそだったのだろうか。なら知っているはずだけど、うわさを聞いたことがないので、おそらく違うのだと思う。小雪がとても楽しそうに演技していて、すごく好感が持てた。私の小学校の友人の進悟君は、夕日を観ると死にたくなるような、どうにもならないノスタルジアを感じるという。過去とは何なのだろう。未来が見えないとき、過去はその重さを増すが、未来を見据える際にも、過去は必要になる。