夏至
夏至、おめでとうございます。新年おめでとうはあたりまえだけど、占星術師にとっては夏至おめでとう、冬至おめでとう、、と言いたいもの。今の1月1日のお正月は何の天体の運行も絡んでいないまったく人為的なものなので、どうも力が入らない。1月1日はどう考えても新春とは言えない雰囲気ではないかしら。その点、夏至や冬至や春分には、やはり説得力があります。夏至はマジカルナイトのひとつ。天体の運行には意味があるのです。力もある。種まきの時期が厳格なように、天体の生物に及ぼす影響がないというほうに、あまりに無理があります。科学にも一種の迷信とか宗教に近い部分がある。これは近代ケミカルがその昔、魔女の薬草学のような知識と壮絶な争いをして、それを奪い取り、化粧直しをして近代科学として出てきたことと深く関係しているのだと思う。わたしは苦しい風を現代医学の薬ですぐに楽になったという経験はないが、どんなに苦しい咳き込みにも、ユーカリをオイルマッサージすれば必ず、眠れる。どちらにも優れた面があるのだ。というよりも、近代医学自体が魔女の薬草学を化粧直ししたものからスタートしている事実があるということ。出所が異なるわけではない。しかし目的が異なるので、今は違ったものになっているに過ぎない。マジカルナイトになるとこうした矛盾をいつも感じる。本日は夏至。いつもなら森や草原の中に一日中いて、草が伸びるのを朝と夕とで比べるのを習慣にしていたのに、今年は東京で仕事。しかし今日はどうなっているかわからないが、今年は草の伸びる速度が遅いと思う。冷夏の予兆かもしれない。びわの出来も遅いし、カモミールの花が咲くのもかなり遅かった。トマトの実のつきかたも遅く小さい。長期予報では熱い夏になりそうだが、自然界の声はそうでないと今のところ告げている。きょうは披講の学習会にわざわざ遠い所からいらして見学なさった、sさん。お疲れ様でした。また昼間に面談にいらしたIさん、どちらもありがとうございました。お二人とも、今度の妖精茶会についてご質問されたのが、いかにもマジカルデイである夏至
にふさわしいと思いました。古代人の感性を呼び覚ますことがこれからとても大事だという気がする。それには古代人の感性はまだ自分の中にある、と、そう思うことからはじめるのがいいのではなかろうか。実際にそうなのだから。科学を得ることは古代の知恵を捨てることとは違うはず。しかし科学の嫉妬深さには恐るべきものがあり、古代知識を捨てなければいけない脅迫がこれまでにあった。両立できるのに、そうしない理由が科学にはある。原点が盗みから始まったためではなかろうか。この世の人間もこれからはどちらも協力して時代を作っていかなくてはならないが、人間タイプには2通りがあることも事実だ。古代の知恵に通じるセンスと、近代理知センスの二派と言えよう。もちろんこの垣根ははっきりしておらず、中間派もあれば、両面をうまく使いこなせる人もいる。多くの古代知性派は下積みの階層におり、近代知性派は支配層に多い傾向があるだろう。大本教などではこれを転倒した状態だと言ったらしい。しかるべき位置にしかるべきものが位置しないと、全体の力が出ない。魂の革命がないとこの世に力が出ないということかもしれない。手は手、足は足、頭は頭にないと、全体が動かない。手には手としての喜び、足には足としての喜び、頭には頭としての喜びがあり、他の場所では嬉しくない。しかしこの世は誰もが頭を狙い、嫉妬と、羨望が渦巻く。しかも悲しいことに、足が頭に位置する、転倒状態にあるという。面白い発想である。自分にとって、何が幸せか、、、そう考えることが大切。一般に幸せとは、、、ではなくて、自分の幸せは何なのかを正直に求めると、見えてくるものが多くなる。