サーバートラブル

昨日の午後から本日の午後1時ごろまで、サーバーのトラルにより、アクセス不能になり大変ご迷惑をお掛けいたしました。間に入っている会社のほうのケアレスミスだったらしいのですが、こんなこともあるのですね。情報社会だから戦争なんかもなにも爆弾を打ち合う必要なんかは本当はないのではないかしら。サイバー空間での戦争で十分にやりあえるはず。そうなるといざというときはシンプルな社会形態を維持できている上に、その上に情報化が張り巡らされている構造がもっとも強くなりますね。実際、リアリティのない情報空間では、今後情報発信をするにもむなしさがつきまといます。わたしが自分のヒルズにこだわってそこを基地として情報発信がしたいのもそのため。リアリティのないものは魅力を段々失っていく時代だという気がする。わたしは情報発信はすでに20年以上の長きにわたってやってきていますが、サイバー空間に流れる根拠なき情報と、リアリティに裏付けされた情報の違いが今後の大きな方向の違いになると思っていて、そのための自分自身の生き方の変換、情報の質の変換、提供するものの質の変換を、今はかっているところ。文字通り、なかなか周囲はわかってくれませんので、これまでどおりの孤独な作業がまた数年続くのだと思うけど、これは間違いのない流れだと思う。トフラーの富の未来、という本が今売れているけど、流行ものではトフラーはやはり大御所の信頼感はある。第三の波を30年ほど前に読んで、わたしは本当にそうなると確信し、すぐに情報化に取り組んでほぼ20年間の収入をそこから得てきたのですが、奇しくもトフラーの考えとわたしの考えはまた一致した。時代は本当に変わっているのですが、人の意識はそうでもない。その結果、富の概念が変わり始めている。確かに、4人家族、お父さんが働き、お母さんが専業主婦、、そんな家庭を今探すのは大変である。一般的なモデルケースだと思っていたものが、もうそうではなくなっている。今の一年は以前の10年のスピード。仕事自体も変わって来ている。昨日わたしは新宿のドイカメラに行ったが、エスカレータを上りながら気付いたのは、女子職員がエスカレータのところで大声でチラシを配っている。街中でチラシなどくばってもまったく意味はないことは数字で大体はわかるが、目的客だけが来ているエスカレーター前なら、それなりの数字が出せるのだろう。そこらへんが最大限に調べられて戦略化されている。レジではまず商品を持っていった社員のバーコードをレジ打ちし、それから商品をレジ打ちする。要するに誰が何を売ったかが良くわかるシステムなのだ。関連商品を売ったとか、そういうこともすぐにわかり、社員の成績が数字に現れるので効率が良いのだろう。そして思ったのが、ここで働く人は大変なストレスだろうな、ということである。何もカメラのドイが悪いといっているのではなくて、どこも大型店は同様なのだ。それによって最大限に効率化が図られている。しかしわたしは何かが違うと感じる。それはこれからの富の方向とは異なるものだと直感がひらめく。エスカレータ前の女子職員は大声で、ビラまきしているが、あのストレスを与えることは大きな損失だとわたしはおもう。社会エネルギーを失うことにつながっていく。歯磨きの最後を一生懸命に搾り出しているような努力はあまり意味がない。昔のビラまきは、苦手な人は小さな声で、それなりに逃げながらできた。しかし、エスカレータ前だとすべての社員監視のもとなので、力をいれる以外にない。それだけ管理され、限界まで搾り出されるシステムでは人は人として働けない。しかしそこで勝負するしかない仕事のやり方は、本当は古いのだ。量販メーカーというのは、奴隷商売と同じ構造にいたっていると思う。多かれ少なかれ他の商売も同じだ。わたしはこうした時代からとにかく一度逃げ出した方がいいと思っている。しかし誰でも逃げられるわけではない。わたしにもルーティンの重さがかなりある。そこに知恵が必要な時代になっている。このことはまた何回かにわたって話したいと思います。実は逃げ方は結構ある。その実践があっという間に次の世を作っていくというのが、わたしの未来感となっている。ヘンな人と付き合っているうちは人生は開運しない。同様に、ヘンなことをされているうちは生きていても苦しい。どう逃げるかが大切な時代になっているのだ。このことを指摘するものをわたしはまだ見たことがない。どう対応するのかの知識ばかりであり、もうそういう時代ではないと思うのだが。