草刈デイ

今年最初の草刈デイだった。草刈機で約2時間。終わったら手がしびれていた。まだかわいい生え方でがこれが夏至に近づくと暴力的な生え方になる。それこそ数日おきに草刈をしなくてはならないような状況が訪れるのだ。夏とは凄い季節だ。全員で仕事を休んで夏を楽しむことにしたら、本当に面白いと子供の頃から思っていた。せめて50日は休みがあっていいのではないかと思う。バカンスよりもさらに長めの休み。日本人はやはり働きすぎ。これは間違いない。働くことが何か大変な価値を持つと思われているけど、本当にそうなんだろうか。私個人は昔から仕事は好きなほうだが、意味となるとちょっとわからなくなる。私にとっては仕事も競馬もどれも同じウエイトというか、同じぐらい大切で何が一番、というものはないかもしれない。青春期は恋のことしか考えなかった。恋が一番大切なものと思ってた時代だったし、それ以上大切なものがこの世にあるなどとは考えなかった。確かに青春期の恋は仕事よりは今でも大切な気がする。だからと言って私は青春期に仕事をしなかったわけではない。バイトを三つも掛け持ちでやるなど、大いに働いた。仕事を大切などと考えないほうが、かえってストレスなく働けるものなのかもしれない。仕事にストレスを感じない人は仕事を遊びにしているのだと思う。仕事を楽しんでいる。出世しようなどと力んでいると、きっと家庭やそのほかの分野で無理をすることになると思う。私は出世欲は強いほうだったから、仕事をどうしてもやり過ぎた。この習慣をこれからは絶対に変えるつもりだ。なぜかというと、もうそれでは出世もできなくなるような気がする。まだこだわっているようだが、これからの仕事は、個人の技の部分がどんどん拡大する。組織、機構の大きさは完成されたシステムのため、そんなに変わらない。もちろん変わるだろうけど、それは個人の技を取り入れる形の変化によっての技術革新という性格のはず。基本は個人の技にある。この流れはあと20年は変わらないと思う。個人でちまちま続けた、こだわり、味を出し、見てもらう、、、というやり方がこれからのやり方である。自分を楽しむ、自分を表現する、その方法を学び、実行する、そういう自分を中心にする生き方でよいのだ。むかし、ダスキンという会社で配達のアルバイトをやったことがあるが、そこの社長が、配達は親が死にそうでも休めない、、、というようなことをよく言っていた。意味がわからなかった。玄関マットがその日に届かないことと、親の死に目に会えないことの、その価値が逆転するわけがない。今後の企業はプロダクション経営になるだろう。そうしないと儲からなくなると思う。それぞれの個人の技を競わせ、それぞれの個性の独立を支援して、独立採算のような形にしていく企業がもっとも伸びる。みんなで同じものを作るのではなくて、ひとりひとりに異なるものを作らせること。タレントプロダクションと思うと発展するはず。具体的にまだまだ語りたいが、皐月賞の検討もあり、またの機会に。昨晩と予想は変化なしで、メイショウサムソンから行くが、大穴でインテレットも加えたいと思っている。サムソン、がんばってね。写真は草刈を手伝ってくださるご近所のおばさん。きれいになったよ。