今年の桜は結構長く咲いています。先日の強風でやられると思ったのに、まだ踏みとどまってくれている。例年よりも色も濃く、美しく感じられるのですが。桜の木の下でオリエンテーリングをした大学一年生のときをなぜか今日思い出した。私の大学時代はちょうど学園紛争が入学したと同時に激しくなってきて、大学生でありながらあまり学校に行った記憶がない。入学当初のオリエンテーリングが唯一の学生らしい思い出でもある。あとはロックアウトされた教室やアルバイトの記憶しかないのだから。大体の学生は心情的に反体制派であり、デモにも何回かは出る、、というのが一般的な姿だった。私もご他聞にもれず、政治的なことなど何もわからないのにデモに出たものだが、ある日を境にピタリと止めた。清水谷公園というところで比較的穏健なグループであったベトナム平和連合のデモに私はその日出ていたのだが、それ以外に活動が激しいグループもいて、清水谷公園は色々なセクトが集まってごちゃまぜになっていた。学生を囲むように機動隊が取り巻いていて、興奮した学生が小規模ながら機動隊に向かって何かを投げたのが発端になって、緊張が一気に高まった。そして今まさに学生と機動隊激突しようかとする寸前、近くにいた石焼芋屋が、石焼いも、、、、とマイク越しに大きな声を発した。両者とも一挙に緊張が緩んで、機動隊も学生も大笑いになった。私はその光景をみて、イデオロギーよりも人間の人情の自然さの中にこそ、より真実があると感じ、以来、イデオロギーを完全に捨てたのである。イデオロギーの問題点は、人間よりもイデオロギーが重視されてしまう根本的、論理的矛盾をはらんでいることだ。人間の生きる意味を探りながら、方法論が人間の価値以上になってしまう。イデオロギーのもとに何人の人間が殺されたかを考えると、本当にくだらなさすぎる。石焼芋屋さんのリアリティに学生の私は目が覚めたのである。思想には色気がない、火薬をパルプに包んだような、味気なさがある、そんなものに人生をかけることなどできないと思った。以来、私は実生活のリアリティを自分が守るべき最低ラインにすえ、文化、美、芸術などの喜びの中に、求めるものを探し出そうとしだした。ただ実際には恋にしか関心を向けず、ロックアウトされた学校から日増しに離れていった、桜はなぜか昔を思い起こさせる。それともアグリモ二の入った星のローズ水の香りのせいだろうか。星のローズ水、おかげさまでとても好評です。牡羊座の新月に調合したものは、暖かくなって湿度が高くなってくる時期に合わせ、ベタベタ感を抑えてあります。さわやかな春の調合になったと思います。ただ次回のおうし座の新月では、今度は一転して、香りと養分が肌に密着するようなイメージとなります。おうし座の新月はその二週間後のウエサクにつながるもっとも濃密な時期なため。きっと肌自体を若返らせると勝手に信じています。調合は4月28日、おうし座8度の新月。現在の牡羊座新月の星のローズ水は、活力ややる気を起こさせる調合で、不安から引き下がることのないようにとのイメージです。