結局2番はびり
夢の馬は結局ビリでした。これはおおはずれとは言え、意味はあるのです。ビリを当てるのも結構大変なもので、予知性はあったと思われるのだ。しかし2-4の馬単は最終的に2000倍もついたのだから、まあ、来ないとは思っていた。といっても、一応買っておいたけど。一日中、外仕事で結局レースも見なかった。土日でヒルズの木の手入れをしていた。つたに絡みつかれた木を開放してあげる作業が主で、つたと木との壮絶な争いのあとが色々見えた。木に絡みついたつたは、木を締め上げてめり込んでいく。木もそれを避けようとして、枝を寄せてつたを締め上げる場合がある。長い、長い、両者の戦いが見て取れる。今度その写真を撮っておきますね。まあ、物凄いものです。つたを取ってあげて一年もすると木は本当に元気になってくれる。喜ぶのがわかる。葉がおおくなり、生き生きとしてくる。木の手入れは森には不可欠なのに、日本の森は荒れ放題だ。採算割れでだれも管理をしないため。私は以前から、森に人を定住させることで森林を復活させるのがいいと考えてきた。ただ定住するだけではなくて、二コルさんのように、美しい森に変えていき、さらにそこを文化の発信基地にすることで、ソフト的文化が発達すると。絵描きの森、声楽家の森、オーケストラの森、、、そこで毎夜繰り広げられる、音楽界や演劇、踊り、歌、、、考えるだけで楽しいではないか。工場を作るわけではなく、資源を無駄にするわけではなく、もちろん公害をだすわけでもなく、関係する全員が喜び、儲かってしまう、、、森に目を向けるとそういうことが可能なのに。誰もわかってくれないので、たったひとりで私は実践しているわけだよ。星が美しい山で、天文暦を読み、原稿を書き、天体の運行が物質に与える影響を加味して星のローズ水を作り、1100坪の狭い敷地の木々を美しく管理し見守る、、、せいぜいそんなことしかまだできていないけど、まあ、ゆっくりやるつもり。しかし外仕事というのは、実は無条件に面白い。森林十字軍のようなものを作って、学校やボランティアで森の復活作業に取り組むといいのに。ボランティアといっても、完全無料奉仕は私は大嫌いである。その考えが凄くいや。完全無料なんかはいまどき無理である。できる人が限られてしまう。あと、それなりのことをしてもうらうのに、無料とはあまりに図図しすぎると思うのだ。せめて、いちにち森林十字軍として働いてくれたら、寝泊り三食は当然ただだが、それ以外にせめて2500円を出してくれたら小遣い程度にはなる。10日行けば25000円になるし、夏休みを通して働けば、それなりの金額がためられる。やる気もでる。完全ボランティアは、人間性を無視した、悪魔の発想に私には思える。うまくいえないが、人間を絶望の淵においやるやり方だと思う。清い精神だけで、何かをやろうと考えるのなら、それを企画する人はもっと清くなくてはならず、すでに論理的に破綻しているのだ。お役所やボランティア団体のトップにそれだけの人が本当にいるのだろうか。一日2500円でも支払えば、あらゆるボランティア活動は喜びの原点になりうるのに、悪魔的な理想論が極端な形を強いる。人間は善か悪かの境ををうろちょろするもので、それをどう待遇するかによって、良い面をのばせるのに、理想をたてにするのは、必ず悪なのである。うそつき、と大声で叫びたくなるのだよ。本当に、もうそういうくだらないうそ構造をやめなくては、発展しないよ。有給ボランティアをうまく使えば、かなりの日本が抱えている問題がクリアできる。上の人はそれをわからないのでやらないのか、またはわかっててやらないのか、どうなんだろう。国にとって、本当は生きた投資になるのに。けっして死に金にはならない。まったく反対で、素晴らしい結果が待っている。良い未来をつくるポイントというのが、いくつか本当にあって、あらゆるボランティア活動を2500円有給制度にするだけでも、かなりの奇跡がおきてしまう。ひとつづつ説明するのは面倒なのでしないけど。バカな私にでもわかることなのに、国の上の人がわからないわけが無い。本当は良い国になんかしたくないのかもしれない。それよりも自分たちの特権意識と利益が守りたいのだろうね。もしそうだとしたら、本当に悲しいね、この国は。でも、もう変えなくてはだめ。このままで続けてなど行けないのだから。