大空襲
3月10日は東京大空襲があった日。当時私の母親は習志野にいて、東京の方の空が一晩中明るかったと言う。それから61年である。最近になってやっと東京大空襲が話題に上るようになったが、これまではあまり公には語られてこなかった。何に遠慮していたのだろうか。まずドーナッツ上に爆弾を落とし、その中の人が逃げられないようにしてから全滅させたという。人道に対するあきらかな罪である。作戦を立てたアメリカ将校は出世主義者であった。おそらく三途の川を恐くて渡れなかったのではないだろうか。それともまだ生きていたかな、そうだとしたらかなりの高齢だろう。最近、国家の犯罪をすごく恐く感じる。もうそういう時代ではないと思うのだけど、今後どうなっていくのだろうか。話は変わるが、鳥インフルエンザの状況がついにレベルアップしているようだ。人に感染するのはもう時間の問題とか。日本にも入ってくるらしい。来るか来ないかではなくて、もう時期の問題だけとか。早くて半年以内、遅くとも一年とか。国の試算では犠牲者数は少ないが、民間調査機関では280万人が死亡するとか。かなり凄いことだ。
もし日本で流行しだしたら、仕事どころではないよね。以前にも書いたが、熱があるのですが、なんとか行きます、、、なんてことはなくなる。本人が行こうとしても、会社が止めるに決まっている。経済はストップするのは当然としても、病院自体が閉鎖されることになるだろう。一番危険な感染場所になるからだ。280万という数字がどこから出てきたのかわからないが、もしそうなら、看病する人も、看病する機関もなくなるはずで、もっと深刻なことにならないかしら。なんとしてもミニ発生時に食い止めるしかないよね。280万人も死者がでる事態になったら、それは食い止められない、ということだから、そうなると本当はもっと大きくなるのではないだろうか。日本の防疫体制が試される。お役人的なもので事態を大きくさせないでと、願うばかりだ。なんだか最近色々なことで組織の限界を感じていて、ついこんな暗い話になってしまった。心は明るくいるに限るが、今の時代、何かに頼りきらないほうがいい。とくに大きな機構や国には頼らないことだ。心の明るさで言えば、笑いの物凄い効果が最近はっきりわかってきている。そのため、お笑い業界や吉本がその存在感を増しているが、くだらないことでシニカルに笑うのはどんなものだろう。お笑いにも、心から笑えるものと、そうでないものがあると思う。おそらく免疫的にも違いはあると思う。というのは、笑いと同時に泣くことでも実は免疫力はかなり高まるらしい。要するに、心の開放ということなのだろう。青春期に神経症の悩みを体験した私は、確かに笑いで不思議な体験をしている。色々な神経症を私は体験しているが、あるとき、離人症でかなりひどく、自分がショウウインドウの中にいる感覚でしか周囲と対応できないで苦しかったことがあった。その時、なぜかぼーっと見ていたテレビが面白い映画だった。いつしか引き込まれてしまい、私は久々に大笑いしたのだ。何度も何度も笑ううちに、離人症の症状は完全になくなった。こだわりからまた元に戻ったが、一時的に完治したことはわかったので、離人症が複雑なメカニズムで生じるものと違い、精神のなんらかの反応として生じているのに過ぎないと思ったことがある。最近の研究では、糖尿病も笑うことで治るらしい。心臓病もしかり、高血圧も同じ、もちろんがんもそう。いったい、どういうことだ。けっきょく、笑うということは、生きる喜びの体感であり、生きる喜びが感じられると、あらゆる生態の細胞が、ああ、そうですか、生きるほうですね、わかりました、そうします。となり、いやだ、いやだ的に愚痴っていると、あらゆる生態の細胞が、ああ、そうですか、いらないんですね、はい、わかりましたと、求めに応じて働くだけではないのか。体はなんでもご主人様のお求めに応じて、一生懸命もとめるものを実現使用としているだけなのだ。凄い話だよね。しかも話だけではなくて、事実なのだから。写真は私の信州のアトリエにある月見小屋。ヒルズの裏手にも同じようなものを作りたい。私が考えたもっとも贅沢なリッチな家、まあ、ここに座ると最高の気持ちになります。おそらく免疫力がたかまる家、では。みすぼらしいのは嫌いな人は、かえって低くなるかもしれないけど、快適さも個人差だね。