2003年05月14日(水)曇り
待望の雨が降ってくれて、水田に水が溜まりだしている。これでどうにか田植えができるか、、。本当に今年はタイミングがあわずに苦労しました。今度は苗の心配があり、もう苗を売ってない、、、という可能性も。キチンと美しい水田を作り、それをとどこおりなく維持することができるかどうか、、、それが今の自分の成長度をはかる一番の基準になっている気がします。色々な基準が人にはあると思う。部屋がきれいにかたずいている、朝早く起きている、キチンと三度の食事を欠かさない、よく散歩する、瞑想している、、、、、その人の状態をあらわすものはそれぞれあるだろうが、もっとも大きなものは、志があるかないか。志は単なる欲求とは違う。コマーシャルに、大変だからつらいんじゃない、夢がないからつらいんだ、、、ちょっと違うかもしれないけど、そんなのがあった気がする。これも志ということだよね。志を持てるということは、決断して生きている、、ということにもなります。決断するとは、志を前にして、ほかのことは切る、というかあきらめるというか、損してもガタガタ騒がない、という感じか。ある意味、貯金ができる人も偉いと思う。私はもの凄く苦手だが、貯金も志がなければやはりできないでしょうね。そして貯金することでいろいろなことをあきらめているわけですから、なかなかのものですよね。私はお金ずかいが荒い方で、昔から、とにかくほしいものを我慢したという記憶がない。しかしそういうことではやはりダメだ、という気になってきた。お金に限らず、これまでに我慢したことって、何かあるだろうか、、、と考えると、ものすごくない気がする。好きなように生きてきた、といえば聞こえはいいけど、本気で自分の未熟さを最近感じる。自分はもっと我慢することを覚えなければ、なにかより深い人生をまっとうすることができないように思える。自分の境遇に我慢というか、積極的にそれを受け入れて、その中の自分の人生を愛し、おだやかに生きている、普通のやさしそうなおじさん、おばさん、そういう人がテレビに出てくると、つい頭を下げてしまう。遅ればせながら、私も高い志を持ち、日々の生活においても、人間関係においても、我慢することをおぼえないといけない、、、本当に、20代で普通の人がやってきたことが、自分にはできてないのだから、参ってしまいます。まあ、誰にでも自分なりの課題があるのかもしれないけど。私には子供のまま成長が止まっているところがあり、たとえば、絵がそう。4歳児の絵の状態で、成長が止まっている。お陰で個性的おもしろい絵にはなるけど、技術力の面からいうと、異常でしょう。ただあまりに凄すぎて、要するに幼稚すぎて、わざとそう書いていると、みな感違いしてくれますが。本気で4歳児の絵しかかけない。絵は個性にもなるのでいいけど、がまんができない性格を、今、自分は卒業しようと求め出している。