2002年11月15日(金)晴れ
日記はどうなってるのだ、というクレームがありましたが、忙しくて時間がとれなかった。長期出張も重なり、パソコンに向かえなくて20日もあいてしまいました。この間、実は恥ずかしいのですが、小説も書いていたんです。もちろん初挑戦。普通の恋愛小説ですが、初めてだけど、本気で楽しみました。小説って、書くのは面白いです。枚数は少なく、80枚ほどですが、これにはまって、これから一年に3作ぐらい書いていく予定。10作ぐらい書ければ、きっとうまくなるのでは、という勝手な気持ちを頼りに、やっていこうとしています。小説は、書ける人には、どんなに若くても、才能でできるのでしょうが、私は才能はないので、下手なのですが、努力でどうにかしてやる、という意気込みです。どんなに怠け者でも、これだけは素直に努力できる、というものがあると思うのですが、小説に関しては、そう思えました。世に出たいとか、成功したいというのは、もっと上手になってからのことですが、何であれ、書く能力は、毎年3作程度書いていけば、必ず上達するでしょう。楽しんだ上に、文章が上達すれば、こんなにラッキーなことはありません。実は、本気ではまってしまいました。下手でも下手なりに、修正したり、直したりしていくと、だんだんと良くなっていくのが、面白いんです。普通に日中生活しているときでも、ああ、あそこにこんな内容の場面を挿入するといいぞ、、といったことがピンとひらめいたりして修正していくのですが、ほぼ一日中どこかで考えている状態が、この一ヶ月つづきました。文章力が上達すれば、今の仕事にも活きるわけで、無駄ではないんです。しかし、何かを表現するのは、やはり大きな喜びですね。これは本当にそうだと思いました。うまい下手は関係ないんです。今の夢としては、10年間は毎年3作書き、30作程度は残したいんです。そして歳がいったら、自分の存在が表現になっているというか、そうなれたら最高ですね。存在が凄い表現になっていて、思わず手を合わせたくなった人というのは、何人かいるのですが、今の日本人には少ないですね、昔はもっといたような気がしますが。7-8年前に、中国の万里の長城へいったとき、中国の田舎から観光旅行で来た、農民の老人を見たとき、拝みたくなった人が、最後です。 大地に数十年取り組んで、そうした自分の生きかたを、数字や計算に換算しないできた農民であることがひと目でわかるのです。見ただけで、それだけのものを感じさせるのは、偉大ですよね。最後の最後の本当の力は、真心と誠意なんです。きれいごとではなくて、事実なので、真心と誠意が薄くなった人や時代は、本質がうつろで弱いんです。しかしこれからやってこようとしている時代は、まごころと誠意を抜きにしては、立ち向かえない、そういう時代の様な気がします。面白いですよね。真心とか、誠意とか、甘いことを言っていたら、今の時代生きていけないと、そう考える人が一番多くなっているのに、実際は、反対なんです。誠意と真心がある人は、これからの時代は、ラッキーの連続だと思います。調子よく、得してやろう、、と、そう思っている人が、一番苦労する時代になるのは、目に見えてるけど、、、、。