2002年06月11日(火)雪

きょうの午前8時46分に新月。この新月は日食を伴うもので、冥王星と土星の対立軸でできる、結構深刻なもの。おそらく占星術を知っているひとなら、今年最大の深刻な星の配置と位置ずける人がいてもおかしくない、それくらいのものです。あの、昨年に起きたテロ事件の時の星の配置を、再び刺激する形で、この影響が残るこれから三ヶ月間は、星の上ではシビアな時です。何もないことを祈ります。とはいえ、私自身は、時代はどんどんよくなっていると思うのです。確かに色々なことが起こる、多事多難の時代ですが、それはもう色々なごまかしが利かなくなったために起きているもので、時代はどんどんよくなっていると感じます。目に見える形では、一見悪くなっているように見えるかもしれませんが、私は、あいまいだった、または、いんちきが正義の仮面の下にまかり通っていたような、過去の時代よりは、今の方がずっと呼吸が楽にできる気がします。昔のほうがよいと、今思う人の多くは、何かにすがって生きていた面が大きいひとなんです。今の時代は、その人の本当の実力が、前よりはものを言います。自分では何もできないくせに、組織や機構によって威張っていられた人が、今はもっとも大変なときなんです。とにかくしがみついているものを放すことで、楽になって行ける時代。手軽な人を時代は気持ちよくうけいれてくれるようになっています。登山でも、またぎの登山は、できるだけ持ち物を山に持ち込まず、身軽であることが生き延びる方法になっています。近代登山はその逆で、装備に重点を置くため、荷物が重くなります。どちらがいいかは、私にはわかりませんが、昔、子供の頃、私は自転車で遊びましたが、本当に面白いところは、自転車では決していけない場所だったんです。大切な自転車ではあるものの、わたしは結局自転車をどこかに隠して、がけ遊びや木登りをしました。所有することは子供の自由な遊びに逆行することが多かったんです。高価なおもちゃを持つ子は、はじめはそのおもちゃを羨ましがる子供たちに取り囲まれてご満悦ですが、やがて子供たちは高価なものにあきてきて、ほかの遊びに熱中しだすんです。すると、高価なおもちゃを持っていた子は、皆と一緒に遊びたいんだけど、自分が高価なおもちゃを持っている意識と、それを保全しなくてはならない気持ちから、みんなの楽しい輪に入れなくなるのを、昔感じたことがあります。人間の幸せは、実は、身軽でなくては手に入らないものなんです。なにかたくさん持てば幸せになるのではなくて、実は逆なんですね。狭いながらも楽しい我が家、という言葉がありますが、狭くても楽しい、のではなく、本当は、狭いから楽しいんですね。中学生の時、私の部屋はたった二畳でした。今では二畳部屋なんて、めったにないとおもうんですが、そこに5人で寝て泊まった思い出があり、今思い出しても楽しかったんです。生意気に恋人もできて、その狭い二条の部屋で、話したり、じゃれあうんですが、あれは狭い部屋だったから、あんなに楽しかったんでしょう。もちろんそれが毎日ではけんかになるでしょうが、狭い場所で、人同士の営みがあることは、楽しさの条件なんですね。