2002年03月29日(金)晴れ
きれいなおぼろ月の夜です。急に曇ってきているけど、明日は雨らしい。今、29日の0時台なので、28日感覚で書いてます。中央競馬会の電話投票が当たったことは以前に書きましたが、あらゆる面倒な手続きを終え、やっと使えるようになるのが今週の土曜日から。3-30日です。なんどこの日を夢見たことか。いつもはずれてたんですよ。電話投票に。これで土日は家にいてパドックをゆっくりながめ、直前でも投票ができるわけ。テレビでパドックを見てると、パッとひらめくことが多いもんなんです。そういう馬券はまず当たります。馬というのは、走る前から、きょうは自分が勝つと、わかった顔をしているケースがけっこうあるんです。人間の考えよりも、時間の感覚が違うんだと思うんです。過去と未来と現在が、人間が捕らえているような感覚とは違って、もっと重なっていて、きっとわかるんでしょうね。偉そうな顔になるんです、勝つ馬は。時間の感覚が違うといえば、何かを非常に強く欲したあと、急にうそのように、強く欲したこだわりが消え、サーッと楽になることがあります。そういう時はまずその願いはかないます。しかし、欲求が続いているうちはあまりかなわないんですね。欲求を種と考えるといいかもしれません。種をまくまではやきもきして強く欲求を感じていいんです。しかし、ある程度過ぎて、種を土に植えた段階がやってくると種のことは忘れなくてはダメなんです。わすれずにやきもきしてると、毎日植えた種をまた掘り返して見て安心しようとするようなもので、決して種は発芽してくれません。どこかで忘れてお任せモードにならないとダメなんですね。ラッキーに強い人は、まず間違いなくこの感覚を身につけてるものです。競馬の面白さもわたしの場合はここにあるんです。いま買った馬券が当たるか外れるかは、今では、ほとんどわかります。予想に対する自信とかではなく、買った馬券を所持している時の自分の感覚で、きょうはとれるな、きょうはダメかも、、とかが、わかるんです。どんな運命でもおおらかに受け入れるというか、買った馬券に執着していないときは、やはり大きく取れるものなんです。まず例外はありません。買った株も持っていることを忘れている時に高くなるということは、相場をやった人は、まずほとんどの人が体験しているもの。まいた種を、掘り起こしてはダメなんですね。しかし多くの人は、不安から、それをやってしまいます。幸運はゆっくり訪れるんです。不運は急にやってきます。不運におびえてると、つい人は、せっかくまいた種を掘り起こしてしまうんです。何か、変なことになってはしないかと思って、掘り起こしてしまうんですね。しかしそれは幸運を信じていないことと同じことになるので、期待したとおり結果もそうなってしまうんです。それが幸運であれ不運であれ、すべて期待通りのことが起こっているだけなんですね。