2002年03月22日(金)晴れ
朝起きて,なんとなく心臓が苦しい。前からストレスが多いときになることがあるのだが、体とゆっくり対話してみた。朝ごはんに納豆やのりを食べたが、いつもよりのりが多かったためか、のりが残った。普段なら、もったいない、という理由で、当然食べてしまうのだが、きょうは体と対話しながらなので、のりは捨てることにした。そしてきずいたのだが、人は多くの自分で勝手に作り上げた常識や既成概念に縛られている。心臓が痛い原因が、残った海苔を食べるという、そういった固定概念の強制に象徴されていることにあった。もちろん、食べ残しはよくない、食べ物を粗末にすることも、もちろん、良くはない。しかし、そうした固定化された考えにいつも縛られていることは、そのときの自分の体とさえ、対話ができなくなることなのだ。一度こうと思ったことに、多くの場合、私達は縛られてしまう。私は、今朝、思い切って残った海苔を捨てた。すると、本当に心臓が楽になった。その昔、面白い話を聞いた。そば通のはなしである。そば通は、ほとんどツユにつけずにそばを食べることが、自分のやり方だと決めていた。何十年もそうしたスタイルを通してきたのだろう。そして寿命を迎えるそのとき、通の辞世の言葉は、一度でいいからそばにツユいっぱいつけて食べたかった、、、であったとか。本当に私は面白い話だと思った。また、その話を書いた人が、相場の世界の達人であり、その話をして、生きることの難しさ、というのも面白かった。要は、みな自分自身にしばられているのである。以来、私は、何かにあきる、ということが、とても素晴らしいものに感じられる。物好きで新しいことを私は色々と挑戦するのが好きなのだが、すぐに飽きてしまうものも多い。愛先生、その後レストラン計画はどうなりましたか、なんて聞かれると、ああ、あれ、あきちゃったの、と答える。すると多くの人が度肝を抜かれる。しかし、これほど面白いことはない。責任なんて、ないんですよね。誰も責任なんか要求もしていないのに、言ってしまった手前、ほんとうはもう燃えてもいないのに、何かを続けてる人は、意外に多いのでは。のりを食べずに、捨てることだけでも、私の心臓は楽になったのです。もっと、軽くなりたいものです。