2002年02月10日(日)雪
千葉でも山奥のせいか、雪がチラホラと降っています。風がないので、静かに舞い降りてくる感じできれいです。冬季オリンピック気分を、盛り上げてるみたいで、なかなかいいかも。四年前の冬季オリンピックは長野でしてが、私は、当てもない旅に出ていました。約二週間にわたって、どこに行くとも決めず、行きたい方向へ、旅した結果、東京から、もっとも遠いのは、尾道までいったんです。車で。京都では車が故障し、突然エンジンが止まって、惰性で道に脇に留めたら、私の車の前にジャフの車が止まってたんです。凄いタイミング、しかし、車はすぐには治らず、結局京都に数日いる事になり、色々でかけました。鞍馬にも行って、奥の院まで歩いたんですが、これまでにも何回か行ったことがあったんです。幾たびになぜか、わたしはあの山道で、必ず心臓が痛くなるんです。そして奥の院で休むと、心臓が治って、かえっていい気分になるという体験を何回かしていました。自分で分析するに、何かを求めて、といった、欲のある感じで行くと、心臓が悪くなります。反対に、お母さんに会いにいくような、大きいものに、ゆだねるような感じで行くと、すーと、楽になるんです。私だけかもしれませんが、鞍馬に限らず、完全な形のイワクラの場所に住んでいる、神戸の知り合いの家に行くときも、まったく同じ経験をしました。仕事の息でいくと、必ず心臓が苦しくなるんです。一時は、このまま発作が起こるのでは、と思うまでなったことがあるのですが、そこがめがみ山、という住所であるのにきずいて、母にゆだねるような気持ちになったら、すーっと楽になりました。そういう場所が、古代遺跡的なところには、多いですね。大地の神には、ゆだねるのが、一番姿勢なんですね。大地の神様は、竜の形をしているんです。一度、富士山のほうから、箱根の方へ、のびている大きな竜を夢に見たことがあります。すごいヘビで、私が見たのは、尻尾の部分なんです。しかし、富士のほうから、ずっと、山脈の尾根ずたいを、バームクーヘンのような年輪の模様が、まるで太古の時代の年輪を思わせる、けっこう怖いかんじがするんです。私ははじめ、それは、なにか巨大な木が横たわってつながっているように感じたのですが、それが、動き出すんです。そこで、それが生き物だということにきずきました。一夜にして山脈を築いてしまう生きた神様のお姿だったわけなんです。なんでそんな夢を見たのか、わかりませんが、本当に愛が深いものは、人間が見たら、おそらくあまりにとらえどころがなくて、きっと誤解するだろうな、という感じがしました。大地の神様には、とにかくゆだねて、甘えることなんです。私は、自分意識が強くなりすぎると、決まって心臓がおかしくなるので、それがわかるんです。このところも心臓が病気ではなくて、締め付けられる感じがあり、ああ、ゆだねることを忘れていた、ときずいた次第です。