2002年01月29日(火)晴れ

天気のよい穏やかな一日でした。一月ももうすぐおしまい。早いですね。しかし、外に出て地面を見ると、もう緑が多くなっています。ふきのとうを探したら、もう大きくなりすぎ。10個ばかり採って天ぷらにして食べました。毎年食べていた信州の山奥で採ったふきのとうは、苦味が多くて、いかにも眠っていた体を、春になって起こしてくれるような迫力があるのですが、ここ千葉の山奥のは、そんなに苦味がありませんでした。でも、おいしいことはおいしかったよ。しかし、天ぷらというものは、あまり沢山食べるものではないのかも。徳川家康は天ぷらを食べて死んだそうですし、エドガーケーシーは、天ぷらは食べてはならない、とハッキリ言ってます。人間の体に合わないんでしょうね。しかもあれは太ります。コンビにで揚げせんべいを買っていく太った人を何度か見たけど、偶然ではない気がします。カロリー高すぎですもんね。食べることは、食べ物を自分の体に取り入れることですから、本当の意味で身につくわけです。自分になるのですから、何を食べるかは、重要な問題なんです。人間に本当の意味で与えられてるのは、食べ物のみと、ひふみ神示では言います。家も服も、持ち物は、借りているものと言うのです。たしかに、失うことがあったり、なくしたり、売ってしまったりするのですから、所有と思っているものは、一時的な賃借なんですね。しかし食べ物だけは自分の血となり肉となるのですから、自分に与えられたもののわけです。ですから、人間が所有できるものは、食べ物だけなんです。その食べ物を二部神にささげなさい、というのが、何よりの開運方法と語ります。それは、腹八分目ということなわけです。神に二部、自分で腹八分目。食べ物だけは本当にその人に与えられてるので、差し上げられるものとなるわけです。だから開運間違いなし、ということになるわけです。いくらお金を出しても、それはもともと預かりものなので、差し上げものにならないわけですね。それでは開運できないわけです。確かに筋が通っていますよね。悪魔とは何かというと、やはり、最後は狂気に行き着きます。神は、筋道だっていて、本当の道理にかなっているんです。私は宗教にはまったく関心がないのですが、聖書と賛美歌、そして一二三神示はよくよみました。一二三神示は声に出して読むと言いのですが、ハッキリ言って、道理がよくわかるようになってきます。無心にただ読むだけでも、運がよくなるような気がするのです。実際には、よくないことが起こるのですが、それでいて、どんどんよくなっていってる、という感覚になるんです。しばらく読んでませんが、本当に不思議な気がしたものです。読んでいると、ただただありがたい気がしてくるようになる、そういう体験でした。