2001年11月22日(木)晴れ
しし座流星群の結末をまだ話てませんでしたが、ひどい風邪をひいてしまいました。お布団を、月見台に敷いたのはよかったのですが、私は12時から見始め、最初のうちはちらほら見えたものの、次第に曇ってきて、退屈さから寝てしまったのでした。のどの痛みでおきたのが、午前三時。まだ完全に曇ってたので、これはダメだと思い、私はお風呂に入りました。お風呂から出てもう一度外をのぞくと、たまにできる雲の割れ目から、バンバンと流れ星が落ちてるではありませんか。これは大変だと思い、毛布を体に巻きつけて見始めたら、午前四時ごろから晴れ始め、すっかり雲がなくなってのですよ。もうピークは過ぎてる頃とはいえ、3秒に一個の流れ星が落ちてくるのですから、見ないわけにはまいりません。しかし、眠気と、おそらくはすでに風邪をひいていた身としては、意識がうつらうつらとしてくる始末。なんとか5時まで見て、眠りにつき、そして風邪をひいたのでした。おそらく日本全国で、こうした流星風邪をひいた人は、おおいのではないかしら。合計500個はみたでしょう。しかし、この流星群、数百年に一度の規模とか。もうこれほどの規模では見られないらしいけど、わかりませんよ。突然彗星が現れて、流星群を出現させないとも限りませんから。数年前の百武彗星も、わずか数ヶ月まえになって、百武さんが予想し、そうなったのですから。しかし、百武彗星は凄かったです。一般にはへールポップ彗星のほうが規模が大きいと多くの人が思ってますが、両方実際に見た結論から言うと、問題外に百武彗星が凄く見えました。全天の3分の一ぐらいを占めた巨大彗星で、きれいな円盤形をし、それが、なんと、北斗七星のひしゃくの中を貫いているのですよ。もし、あの光景を昔の占星学者が見たとしたら、その場で、腰を抜かしたことでしょう。彗星は凶変を告げるしるしの上、あの大きさ。百武彗星は都会ではハッキリ見えなかったらしいですが空のきれいな場所でははっきりとみえる超巨大彗星だったのです。その彗星が、しかも北斗のひしゃくを貫くと言う、 もう占い界にとって、これ以上はないというお膳立てなのです。北斗は当然北の守り神、そのひしゃくを貫くと言うことは、これまでの守りを破るという時代を暗示するのです。社会のもっとも基本にある、もっとも信頼を皆が寄せているものが、打ち破られると言う印だったのですよ。百武彗星は、北の空で、東から上り、西へと向きを変えつつ、あの巨大な姿を一晩で一回転させたのですから、その規模の凄さは筆舌に尽くせないものがあります。私は興奮して、東京に帰り、皆にそのことを話しましたが、東京ではほとんど見えなかったためか、誰もそんな凄いシンボルだとはきずく人はいませんでした。しかし、あの超巨大彗星がひしゃくを貫く姿をみてしまったわたしとしては、決して忘れることはできませんし、そのとおりにその後の日本も世界も動いているように思えてなりません。