「母殺し」 あなたは母殺しを終えていますか? (母殺しの動画入門編)

母殺しとは私が作った造語で、もちろん、実際に母を殺すようなこととはまったく関係ありません。あくまで心理上の造語です。と言ってしまえば、なんだ、ということになりますが、母殺しを終えた人と終えてない人とでは、雲泥の違いがその人生で出てきます。

一言でいえば、母殺しを終えた人は気持ちが楽になっており、自分の人生を歩めることになります。母殺しが終えてない人の人生は暗く冷たくロボットのようなコントロール感で常に苦しんでいます。

なぜロボットのようなコントロール感で苦しむのかというと、それは無意識の中で今なを母の命令にすむけず、その命令に沿って生きており、その結果、自身の人生はその人にはない、なのでつらく苦しいわけです。

成績トップ、、、生まれつき頭が良いのかもしれませんが、トップを続けるには、遊びを我慢し、ライバルに負けないよう心を冷たくし、苦痛にもめげずに良い成績を続けた人だということです。

なぜそんなにまでして彼はトップであり続けようとしたのでしょう。大体は母の命令がそこにあるから、、、もしくは、母が求めるものを知ってのことであったはず。苦しい努力を強いる母、、、本当は怒りと憎しみが心のどこかに芽生えてもおかしくありません。しかし、彼は母に抵抗することができない、、、、自分の中にある母への怒りや憎しみを意識することが怖い。

それは、彼が母に依存していたからでもあるでしょう。母を憎めば、自身は自身の存在に責任を持たねばならなくなる。勉強を辞めることは、代わりに自分がもっと真剣な本当の生き方を持つしかなくなる。

母に依存していれば、自分を成熟させなくて済む。日本の優秀な人に共通する傾向があるように思われます。母殺しを終えてない出世組。政治家の多くにもそんな雰囲気を感じることが多い。やけに威張っている政治家、、、威張るという表面的な男らしさは、おそらく母から心理的去勢状態にあるためだと考えるとうなづける。権力と金があれば、女を囲い、周囲には威張り散らす、、、男性代議士にみならず、女性代議士にも同様の人が結構います。

母殺しが終えてない女性代議士はやけに威張っている。ヒステリーである。それは自分を商品化しているからなのですが、それには気づかない。皆が認める価値の範疇の中での自分の優秀性を威張ったり鼻にかける。自分を高い商品と思いたいためです。

それだけ、本当は絶望している。自分を高い商品にしようとすること自体が、すでに絶望の淵にあることに気づかない。「このハゲ」発言で失脚した女性代議士や、それに似たタイプの女性代議士は、票集めのためなら土下座も簡単にできる。

女性代議士も男性代議士ももちろん同じです。官僚で心の冷たい人は、自分は勝ち組であり、母に誇れる存在であると思っていることでしょう。不自然なことでも平気でできる、我慢できるのは、それが母の言いつけであるからです。母の言いつけを守るために、その人は、男も捨て、自分も捨てたのです。なので、権力を持ったら威張る以外にない。男を捨てたのだから、金で女を囲うしかない。

こうした母からのコントロール状態にある人は、何も代議士や官僚だけではなく、至るところにいる。大体は優秀と思われている人に多い。なぜなら、母からのコントロールを拒絶すれば、人はもっと自由な生き方に結果的になっていく。暗に強要する母に対して「ババア、うるさい」と言えていたなら、母のコントロールは立ち消え、私たちは孤独の出発を覚悟してスタートさせていたはずだ。

「ババア、うるさい」ということが正しいなどと言っているわけではありません。ただ、コントロールしてくる母を拒絶しなければ、誰も自分の人生を歩むことはできなくなるということです。

もちろん、多くの人は、上記に該当しな良い母、自然な母に育てられて自身の人生を生きていることでしょう。とは言え、少なからず、私たちは誰もが、両親主に母の存在、そのメッセージに縛られている面があります。誰にも、自分の人生を生きるためには、母とのへその緒を心理的に切断する母殺しが必要なのです。

ここで言いたいのは、形の上では恵まれているのに、なぜか体が重たい、なぜか心が苦しい、自分より低い相手には冷たい、生きる喜びがわかない人のためのものです。人をいじめるような際にしか喜びが出てこない人、、、それは明確なサインであり、その人は母に今なをコントロールされているのです。

なぜコントロールする母が存在するのか。それは母が不幸だったからです。母の結婚は恐らく不幸であったが、形の上では幸福に見せていた。世間に多いパターンだと思います。しかし、あくまで見せかけなので、魂には嘘はつけない。本当は自身の人生がつまらない。母には自分が生きているという手ごたえがない。そこに子供ができる、、、子供を通して自身の無意味な存在の埋め合わせが始まる。子どもは母の不幸の埋め合わせのための人質に捉えられていく。

父と母はすでに心が離れている。父も子供に見せかけの男らしさを教えこもうと力む。母も父のことも本当は大嫌いなのにコントロールされている人はそれを隠す。本心を見せることは、自分はこの家を出て一人となり、外見の幸福を捨てることになる。外見の幸福がすべてだと教わって来た子なので、家を出る恐怖は大きなものである。そこで子供は従順となり、母の命令から生涯抜け出ようとしなくなる。

母が死んでも母の命令は残る。心理的母殺しが終えるまで、私たちは母のコントロールを抜け出せないのだ。

下の動画は母殺し①となっています。③まで続く予定ですので、ぜひご覧ください。

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