共振を求める生きかた

この世に存在するあらゆる物は常に振動しています。物を構成している元素自体が振動していますので、すべての物は振動状態にあると言えます。

振動状態に変化を与えられるものも、やはり振動です。振動や他の振動を吸収し、増幅し、共振します。

振動している物には必ずエネルギーが入ります。振動すれば、それを止めようとする力、すなわち反作用がもたらされるのですが、それが本当のエネルギーであり、振動を停止させようとする力がやってきて、エネルギーとなるわけです。

常に振動しているということは、古い振動は止められ、エネルギーとなり、新たな振動が反作用を招きます。物質も人間の体も地球も宇宙もすべてのものは、こうしてエネルギーを得て存在しているわけです。

振動しているからエネルギーが入るのではなく、振動を止めようとする反作用がエネルギーであり、振動が止まった、止められた刹那のゼロポイントから、エネルギーが入るわけです。無にしかエネルギーが無いとはこのことです。

振動=止めようとする力を招き=振動の連続と無の連続が常に起きるため、存在しているものは、常にエネルギーを得ていることになります。

振動が弱くなればエネルギ―補充力も弱まります。振動が弱くなるとは、共振を失うことを意味します。

ひとつの振動は必ず何等かの周波数を出します。どこからか同じ周波数の振動と出会えば、共振が始まります。共振すれば振動は強く大きくなります。共振現象が多くなれば、共振物には豊富なエネルギーが入り、元気になります。

共振現象が少なくなれば、振動も弱まり、やがてゼロポイントから訪れるエネルギーが少なくなり、物質は崩壊へと進み出します。物も人も現象も同じです。

一人が大きな石を転がそうとして、強い力を石にかけますが、石はびくともしません。そこにもう一人の人がやってきて、一緒に手伝ってくれると言います。二人は息を合わせて、「いちにのさん」と、一緒に力を入れます。すると多少石は動きましたが、また戻ってしまいます。戻ってくるタイミングを二人は捉えて、再び息を合わせて「いちにのさん」と押すと、前回よりも大きく石が動きました。三回、四回、、ついに石は転がりました。

このように二人が息を合わせて石にタイミングよく力を加えると、ついに石は動きます。二人のあった息により力が合わさり大きな力になる、、、すなわち共振行動と言えるでしょう。共振行動が生み出す力は大きくなったわけです。

次に、同じ考えを抱く者同士が、何かに義憤を駆られ、不満やる方ない気持ちでお互いの顔を見合わせたとしましょう。その時、二人の視線には、強い思いが共通して認識できることがあると思います。物理的には何も変化していませんが、二人の心の共振は、石を動かした共振行動よりも小さいとは言えません。

むしろ石の時の共振行動よりも大きいのです。ひとつの石を協力して動かしたからと言って、人生の何かが二人の中で変化することはありません。しかし、憤懣やるかたない強い思いが、もしも二人の視線の中に共振現象として共有できたら、それは今後のふたりの活動、生きかたを変えさいする、大きなエネルギーをもたらしているかもしれないのです。

さらに、相手がだれかも、どこにいるかもわからないものの、ある真実の思いを持った者が、いつも一定の思いを、どこかに、何かに常々投げかけていたとしたら、何が起こるのかということです。

一人の持つある思いは、一定の周波数となって世に飛び出し、拡散していきます。物理的には、協力して石を動かそうとする人もいない、気持ちや思いをわかり合える人もいない、、、そんな中でも、一人の持つ思いは意識周波数となって世界に広がっていくのです。そして必ず、その意識周波数と共振現象を起こす意識がこの世には存在します。この世に存在しなければ、あの世に存在します。そっちの方がさらに大きな共振現象をもたらすのです。

誰一人知らない、、、誰一人わかってはくれない、、、誰一人いない中で、純な意識を常々どこかに、何かにむけて生きる人がいたなら、これはもうどうにもならない。どこかの誰かと決定的な思いが共振し出し、大きなエネルギーをもたらすこととなり、現実はみるみる変化していくことになります。

もし、この世に一人もいないとしたら、その強い真実の思いはあっちの世界との共振現象を開始する。あっちは大元の世界ですから、その反作用は莫大な大きさになっていくでしょう。たった一人が、世界を動かす可能性があるとも言えます。いえ、本当はたった一人しか世界を動かせないのかもしれません。誰もわかってくれない中で、たった一人の真実を通す人によって、この世はきっと保たれてきたのかもしれません。

私たち凡人には到底わかりえない世界の話しではありますが、少なくとも、私たちは、自分が一人であることなど、恐れる必要がないということでもあります。

発したものは必ず何かと共振します。共振物や共振者が少ないことは問題ではないのです。むしろ、どういう真実と共振するか、、、ということが大事なわけで、最後には真実の思いなら、それを組み取り、共振し出すあっちの世界があるのです。

おしゃれした若者は自分にあった異性を見つけようとします。共振した若者がそれにひかれて縁ができていく、、、そうやって結ばれるカップルもいるでしょう。

結婚するなら絶対にお金持ちでなければいや、、、という発信者には、お金しかない相手と共振しやすくなるでしょう。誰が悪いでも良いでもなく、発信の思いと同等の周波数が共振するという現実があるだけなのです。

では、何が一番得なのか。原理に従う以外にそれは無いと思うのです。真実の思いの無い人が、真実の愛と共振することはありませんし、自分を捨ててでもこの思いを伝えたい、、、と願う人は、自分を捨ててでもその人を助けたいと思う人と共振が始まるでしょう。そうすれば手がけたことは自然と大きくなります。願いは命以上のものだからです。この世の命以上のものが共振し出すからこの世すら変わり出すのです。

すべては一番小さく、誰もいない、誰もわかってくれない、、そういう自分だけの中にある思いと真実以上に、この世に大きなものはないのです。共振の原理が理解できたとき、私たちは妙に焦ることも、切羽詰まることもなくなるように感じます。

もっとも小さな、誰にも知れない、良くない思いは、ではどういう現実をもたらすことになるのでしょう。嘘が成功すればするほど、共振は物理的なものとなりますので、すぐに振動は止まってしまうでしょう。そして家単位で、町単位で、国単位で時代単位で、大きな廃墟となる方向しか作れないことになってしまいます。

お知らせ
先日のズームによる「月のセミナー」での質問にお答えいたします。

Q 太陽と月が同じ星座の場合はどう解釈しますか
月は幼少時代の母との無意識的約束の中でイメージかした自分です。誰もが、この作られた、本当の自分とは異なるこのイメージから人生をスタートさせます。なので、太陽と月が同じ星座にある場合でも、何であれ、最初は月なのです。月の幻惑が消えるには、意識の光が必要であり、その最大のものが太陽です。物まねのスキーの恰好をして、部屋の中で遊んでいた月の自分が、本物のゲレンデのスキーが楽しい、、、と思うようになったとき、月から太陽に脱皮したことになります。伝統的に新月すなわち太陽月の合は、男性には有利で女性にとってはあまり良くないと言われますが、それは男性は社会に出るケースが多く、月から太陽に脱皮する機会が多いので、太陽獲得がしやすいという面があったと思います。女性は家庭に入っていることが昔は多かったため、太陽の獲得が難しかったから、、、と言うことかもしれません。月で生きると、何ひとつ良いことはありませんので、女性にとっては不利、、、という言い方をしたのでしょう。

Qなぜ月を信用してはいけないのでしょう
月は幻影を見せ、それは本物ではないからです。嘘の自分を本当の自分だと思って生きていても、何一つ手ごたえはなく、面白いこともありません。現実味がないのですから。月を信用してはいけないのではなく、月には信用すべきものが無いのです。影であり、実体がないものだからです。月はすべてのエネルギーを奪い、人間を死に追いやる働きをしています。ただ、多くの人が、まさか、、、と思って理解したくない、、、という気持ちはわかります。月が嘘を見せる星であり、エネルギーを吸収していく星であることも理解した上なら、その幻影を楽しむことはできるようになります。しかし、それでも昔はさかづきと言い、直接に月を水、水面に映る月を見た風習があり、そこからさかづきが生まれたと、ホツマツタヱにも書かれています。

Q月のアスペクトによる違いはありますか。良いアスペクトなら月を使えるでしょうか。
どんなに良いアスペクトがあっても月の影響自体に変化はありません。月はどんな場合でも幻影しか見せません。なので、月のアスペクトが良いからそれが示す仕事に就こう、、、と思ったりしますが、まず失敗します。月でやることはとにかく苦しいのです。しかし、自分でも適正があるかのような錯覚に陥っていますので、つい月に人間はこだわってしまい、無駄なエネルギーを費やしてしまいます。

Q月は家にいる時の日常意識として使えば良いのでしょうか。
月は日常の常々の意識を支配していますが、その日常によってくつろげる人は一人もいません。月はエネルギーを奪う星ですから、月でくつろぐことなどできないのです。一人もです。これまでの占星術的には、かに座に月があれば家にいればくつろげるはずですが、そんな人は一人もいません。月がかに座にあれば、家にいることが、家事や家に縛られるのが苦しくて仕方ないのです。だからすぐに外に出たくなるのです。

Q進行中の月は在箔のサインの質を損ねるのでしょうか。
残念ながらその通りです。まず、月のサインの才能を失っています。次に月のハウスの事柄にも、エネルギーばかり注いで何ひとつ得るものがなく終わります。次にかに座がカスプになっているハウスにもこうした影響が出ます。月の三点セットで私たちは苦しむのです。

Q大本教の出口王仁三郎は月の化身と言われるように、月について悪く言うのは許せない。月は植物を育て、人間になくては無いものだ。いい加減なことを言うなペテン師、、、、というお叱りについて
私は占星術の月について語っているだけで、実際の月の働きについて懐疑的なことは言っていません。あくまで、占星術としての解釈を言っているに過ぎないのです。占星術師が月について語ってはいけないというのでは、占星術ができなくなります。
ちなみに出口王仁三郎聖師と月の関係ですが、私は出口聖師は月をよくわかっていたのではないか、、、と勝手に感じます。体主霊従の時代が今の時代です。それを霊主体従の時代に変えるための働きが大本の役割でした。出口聖師は自ら月の化身となられ、月によってあらゆる物を作っていきます。月宮殿も見事なものだったと言います。しかし、第二次大本事件により、王仁三郎が作ったものは、すべて廃墟と化します。当然、王仁三郎はそうなることはわかっていました。自ら月となることでまず、体主霊従の時代を表現し、それを壊すことで霊主体従の時代の幕開けとなる神劇を演じきったのではないでしょうか。出口聖師の行いはすべて物質的にはゼロに戻す必然があったのだと思います。それは月の化身でしかできえないことだったはずです。

QMCに月が重なっている時の影響は
月はどんな場合でも幻影以外は見せません。MCにかかれば、世間に月の幻影を見せる働きとなります。そのため、実像を伴わない人気には有利でしょう。月は評判や人気とは深く関係しますので、人気商売の人は月は使えます。ただし、どんなに成功しても本人の人間的幸福とはまったく関係ないのです。

Q出生時の月は在箔のハウスやサインの質を損ねるでしょうか
申し訳ありません。実例が追いつかず、まだ判断できない状況です。

おおよそ以上の内容です。詳細は発売中の月の教科書にもありますので、関心がある方はぜひ参考にされてください。

私たちは月を誤解している「月の教科書」5000円  

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