続 あっちの世界とこっちの世界

あっちとこっち。あっちの世界は見えない認識できない世界。こっちの世界は、今、私たちが生きていて、存在していると思っているこの世界と、それに関連するあらゆる世界のこと。前回もお話しした通りです。

あっちの世界は一切認識できない世界であり、アクセスする方法もありませんが、あっちからすべてのエネルギーが訪れ、こっちの世界を動かし生かしています。

こっちの世界は、今、私たちが見ている、また考えられる世界のことで、地球だけでなく宇宙もこっちに入りますし、四次元とか5次元とか6次元とかいうものも含む、霊界をも含む世界のことです。

本当に5次元や6次元や7次元というものがあるかどうかはわかりませんが、そんなに難しく考えなくても、あっちとこっちで十分な気がします。高次元という概念が出てくると、どうしても存在自体に上下があるような、わかりにくいものとなりますのであっちとこっちでいいのです。

人間もいつかは高次元に達し、いずれは悟る、、、という考えもあると思いますが、どんなに崇高なものに見えても、それはこっちなのです。次元が低かろうが高かろうが、こっちはこっち。認識の対象になるものは、みなこっちのものです。

あっちは認識できない、計測できない、理解できない、どんなに人間が素晴らしく高次元になっても、それでも認識できない世界があっち。

一言でいえば、無の世界です。有りて有りて有りて有る無の世界。それがあっち。

あっちのことはわかりませんが、こっちは必ずあっちと一体となって存在しています。あっちからしかエネルギーは来ませんので、こっちはあっちがなければ一瞬にして消えてしまいます。

あっちの世界を私たちは見ることも触ることもできませんし、認識することも無理ですが、あっちの世界がこっちの世界をどう生かしているかを見ることはできます。こっちの世界を存在させている、こっちの世界を動かしているその背景様があっちです。
私たちを生かし、すべてのものを存続させる背景様、、、おかげ様でもいいかもしれません。こっちの世界の働きを見れば、その背景にはあっちの力があることがわかります。

一言でいえば、昨日も言いましたように、それは命です。

命は何によって存在しているかというと、喜びです。あっちの世界の実体は命であり喜びであり、それだけです。

私たちはそれをこっちの世界の働きを見て感じ取る以外にできませんが、私たちは死ねばあっちの世界に入れます。入ることはできるのです。命はあっちのもので、こっちで死ねば命は古巣のあっちに戻ります。しかし、その際、一元の世界に戻ることとなり認識する立場がなくなるので、体験としてあっちの命そのものに戻るわけです。またこっちで死んでも意識がこっちの世界に向いていれば、すぐにはあっちには戻りません。

通常は死ねば喜びだけの命の世界に戻るわけですが、こっちの世界にも様々な命のありようがあり、意識がこっちの何かにフォーカスしてしまうと、なかなかあっちにもどらない命もあると思います。幽界や霊界もそのひとつだと思うと、わかりやすいかもしれません。宗教も残念ですがこっちの世界のものです。

ともかくあっちとこっちに共通するのが、命と喜び。これ以外にありません。わかりやすく考えた方がいいのです。

命は共通です。命はあっちのものですが、こっちに来て色々なものを作り動かし存続させます。命にエネルギーがあり、意識がそれを運びます。喜びも命と同体であり、喜びの表現が命なのだと思います。

こっちの世界を存続させているのも命と喜びですが、こっちでもそれはあっちのものですので、こっちの世界での命と喜びは、あっちと同じものなのです。

ここに重要なプレゼントがあります。こっちの世で、私たちは泣いたり嘆いたり悲しんだりひがんだり恨んだりしていますが、それらはすべて嘘であり、実体がないのです。それはこっちの世界で劣化し崩壊に入った現象であって、すべて嘘です。不幸も嘘、悲しみも嘘、、、、そんなものは本当にはないのです。

しかし命の喜びはあっちと同じです。こっちの世界でも喜びと命は本物なのです。それによってこっちの世界も存在できているのです。なので、悲しみや不幸は嘘。命と喜びは本物という、まさに福音現象がこっちの世界でも起きているのです。

意識とは、何を見ているかに尽きます。喜びと命をみていれば、私たちはこっちにいながらあっちにいるのと同じです。意識は圧です。意識したものに従って反作用が訪れます。意識が喜びなら喜びが戻ります。悲しみと嘆き、恨みなどを見ていれば、こっちの世界に幽界ができるでしょう。実際にできているわけです。

そこで人はいかに生きるか、、、ということになるわけですが、喜びと命以外は嘘だと捉えられるようになることです。その視点でこっちの世を生きれば、こっちの世もあっちと同様になるはずです。はず、、、というのは、私も到底まだ達していないので、はずと思っているわけです。そこらへんはみなさんとまったく同じか、むしろわかってない方かもしれません。

私も皆さんも、これからもきっと、こっちの世界で悲しいことに出会ったり、不幸な出来事に遭遇したり、どうにもならない恨みを抱いたりすると思います。しかし、そんな際にでも、それは嘘であると知りつつそう思うならば、ずいぶんと違ったものになっていくと思います。逆に喜んだり嬉しかったり命の躍動を感じた時は、それは嘘ではないのです。実体なのですから、くったくなく喜びそのものになればいいわけです。

悲しんでもいいけど、苦しんでもいいけど、どこかでそれを嘘と知りつつ、嘆く。喜びの時は素直にあっちの世界を味わう。そんな風に生きていけば、私たちはそんなには道を大きく間違わない気がします。

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