エネルギーから見た人生

エネルギーから見た人生

人は生まれた時は純粋でエネルギーに満ちています。肉体は結果としての物体ではあるものの、自然界と同じで、生まれたての私たちは自然物であり、エネルギーに満ちています。

誕生のここがピークで、あとは、周囲のこの世的意識との戦いがはじまり、不自然さが徐々に私たちのエネルギー状態を下げるように働いていきます。

どういう親に育てられたかは、ですから非常に重要です。自然な考え、自然な態度を持つ親に育てられた場合は、エネルギーが訪れやすい関係性と環境を作ってくれますので、私たちは樂に生きていくことができます。

反対に、この世的なルールが好きで、結果主義的な親で、しかもこの世で勝ち残るというような戦闘的な、または復讐的な人生観を持つ親に育てられたら、本来の無というエネルギー源からシャットアウトされやすくなり、子供はエネルギー枯渇に陥りやすくなります。

エネルギー枯渇に陥った子供は、表面的な価値を強制されますが、そこからは何らエネルギーは入りませんので、弱者をいじめたり、いい子になったりして、とりあえずの対応で生きるしかなくなります。

それでも、夜寝ている時の無、、、、ボケーっとしている際の無、、、、ひとつの価値感にしばられながらも、ふっと感じる自分の感性を通して、エネルギーの補充ができますので、よほどコチコチの考えに至らない限りは、どうにかうるさい親の元でも生き延びることは可能です。

無にエネルギーの入り口があり、有には何のエネルギーもない、、、これは真実でありながら、私たちの世界と正反対の考え、構造をしています。

学校では、有のみを教えます。成績アップ、、、規則、、、従順、、、など。成績アップしても本当の考え方を間違っていたら、勉強ができればできるほど、実は危険な人になります。規則も規則を守る精神が抜けていたら、ずるい人になります。従順も、何に従順になるかによって、私たちの生きる方向が決められてしまいます。

その結果、社会に出るころには、自分だけが良ければよいと考える危険な人間が、形だけの規則を守ればいいという狡さを覚え、悪い社会の価値観に従順になっていくのですから、この世は悪くなるばかりかもしれません。
この世のあらゆる問題の根底には、無には意味がなく、有にしか意味と価値がないという、事実とは真逆の考えがあると考えればわかりやすくなります。

無の世界から私たちはやってきました。母のお腹です。母が大きくしたのではなく、実は無からのエネルギーが赤ちゃんを大きくしたのです。

母が産んだことは確かですが、母は無を腹に抱えて成長させるお手伝いをしたのです。
その後の子を育てたのも、本当な無から来たエネルギーです。

眠る無の時間、、、考えない無の時間、、、母の思いと父の思いが拮抗し、子に注がれたエネルギーの愛、、、母の無言の意識がベールとなって子に注がれた愛、、、父の無言の働きが子に注いだ愛、、、すべての本当のものは無からの成長であり無からの守りでした。

私が育てた、、、、こう育てた、、、、、私の家のおかげで、、、、私たちの子育ては、、、、それは有の発想であって、子にはエネルギーは注がれていないのです。

なので、必ず、親という前に私がつく親に育てられた子供は、虚無的となるか、意地悪くなるか、社会に復讐しようとするかするでしょう。

無しか私たちを育てることはしないのです。

無とは概念ではありません。現実の無なのです。実際の無です。水流と水流をぶつければ、そこらじゅうで水流が止まる無、、、物理現象でも同じです。時間が止まる無もあるし、言葉を飲んで見守ってくれた親の無もあります。無で人は育つのです。そこにしかエネルギーはないからです。

水流と水流がぶつかれば、素晴らしい漁場となります。エネルギーがそこには豊富だからです。

光と光を干渉させれば、エネルギー場ができます。それを利用すれば医学的にあり得ないと言われるケロイドでさえ、治せる場合があります。

夜寝る時には、思考は無となります。なので、エネルギーが入ります。

体の組織は複雑ですが、組織内で力の方向を拮抗させれば、エネルギーが入ります。筋肉と筋肉が拮抗して無を作るからです。ストレッチとして応用するのが一般的ですが、適度なストレッチは間違いなく拮抗無をつくりますので、エネルギーをもたらします。ただし、その原理がわからずに行っているので、やり過ぎから体を痛める人も多いことでしょう。

寝ていなくても、思考が停止すれば、思考以上のエネルギーがそこに入りますので、素晴らしいアイデアが出たりするでしょう。

頑張ろう、、、よりも気分転換した方が無をつくりやすくなります。あきらめるとか、、、捨てるとか、、、方向を変えてみるとか、、、あるものへのこだわりを無にすることから、必ず次の絵がみつかります。無になったからです。

すべてを失った時はですからチャンスでもあります。無の入り口がどこかにあるからです。

そして人は人生最大の無を体験します。そうです。死です。肉体のすべてが停止し、無反応となります。無そのものとなりますので、なので、大本のエネルギーの世界に戻れるのです。簡単なことです。

行き詰るとは、有の限界であり、その有をすてれば、無となり、いくらでも道は開けるのです。これが本当の哲学だと思います。

無には垣根がありません。私も彼も彼女もありません。常に無の感性で生きることができたらこんなに幸せなことはありません。

自分と他をわけない意識です。それは常に大きな無そのものであり、ふるさとの無に近いセンスです。自他を分けない世界がこれからの理想でなければなりません。

なぜなら、測る、、分ける、、数える、というバビロンがペルシャに滅ぼされる夜に表れたという白い手が書き残した時代に終わりをつげなければ、有の限界を私たちは見なければならないことになります。

有の限界が来ています。戻る世界は無がすべてを生むというエネルギーの考えであり、自他をわけない、戻る、一体となる、、、その方向にならざるを得ないと思います。

この後に及んで、自他によって何かをしようとすればすべてはかない結果になるでしょう。

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