内臓の拮抗

震えればそれを止めようとする宇宙の力を呼び込みます。それがフリーエネルギーですが、拮抗する状態でも、フリーエネルギーを呼び込めます。

拮抗状態は微振動そのものですから、原理としてはまったく同じです。どちらもふるべです。

私は体操などやったことはありませんが、体の筋肉、組織を拮抗させることで、エネルギーを取り入れられることがわかりました。

一般の体操や筋トレから得るエネルギーをはるかに超えたものが、筋肉や組織の拮抗から得られることを確信しています。

無理な体操や筋トレ、激しい動きは、不要であり、組織を拮抗させるだけの方が多くのエネルギーを取り込めるのです。

原理としては、無からしかエネルギーは入らないからです。拮抗は無に近い微振動です。拮抗から得られるエネルギーによって、本当は人は活かされていると言ってもいいくらいです。

上の写真は内臓の拮抗をイメージしたものです。お尻を月だし、下腹部を伸ばし、胸部を突きだします。すると内臓は引っ張られ、縮もうとする力と拮抗します。

内臓の拮抗からも非常に多くのエネルギーを得ることができます。

この際に、お尻を出す、、、胸を出す、、、という形で考えてはいけません。腹の内部の内臓をストレッチし、縮もうとする力と拮抗させるだけです。

人間の正しい姿勢が、本当はお尻が必然的に外に出て、下腹部とおなかが自然に出る、、そしてその結果として胸も張る、、、そうした形ではないかという気がします。

頭から脚まで一直線に立つと、これはこれでいいのかもしれませんが、エネルギー的には納得できません。

内臓拮抗の形で立つと、重力全体を腰に乗せ、その結果、自然と背は弓なりとなり、お尻が出る、、、この姿勢ですと、姿勢そのものからエネルギーを得ることが可能です。

ヨガの姿勢もそのほとんどが、おそらく拮抗させることでエネルギーを得る姿勢になっているのだと思います。

ただし、その形に意味があると思うと形を追うことになり、肉体に無理を生じさせます。形には意味はなく、形はあくまで結果にすぎません。

内臓を拮抗させる方法は色々あると思いますが、写真の姿勢は多少デフォルメしていますが、脚をもう少し普通に立つようにすれば、ただ立つだけでエネルギーが内臓に入ります。

写真の姿勢では、多少苦しいかもしれませんが、エネルギーワークとしては非常に優れた姿勢になっています。

足を屈伸させなくてもいいので、お尻を突きだし、腹部を思い切って自由に伸ばし、縮んでいる内臓状態を拮抗させると、気持ち良く、大変なエネルギーがもたらされます。

何度も言いますが、形を追うのではなく、内臓を拮抗させることが目的ですので、意識が形に囚われると、必ず副作用の世界に入っていきます。

筋肉の拮抗、各関節、各組織の拮抗、そして内臓の拮抗、、、これは寝たきりのご老人でもできるワークなのです。

最初はふるべから入り、次に色々な肉体部位を拮抗させ、内臓を拮抗させていく、、、、これをゆっくり、丁寧に、続けていけば、あっという間に驚く結果が得られる可能性が高いでしょう。

すべての問題はエネルギー不足から生じています。エネルギーを得ることで解決する以外に方法はありません。

それには、方法論ではなく、原理がわかっていればいいのです。原理を間違えることなく、具体的にそれを行えれば、誰でも、いつでも、どんな状態でも、そこから脱出できるはずです。

年末には神舞踏セミナーを開催しますが、こちらはすぐに定員になりましたので、また、来年に向けて、前述した内容のセミナーを開催させていただくつもりです。

元気になるのも、若返るのも、丈夫になるのも、自然の仕組みによるものでなければ、きっと副作用で私たちはやられてしまうでしょう。

宇宙は公平にエネルギー補給の方法を私たちに与えてくれているのです。

時局についても書きたいことはたくさんあるのですが、薄汚れた人間心の蓄積による総決算の時期が近付いているような気がします。

大きな動きが世界にあるはずですので、私たちも人間が作った何かにすがるのではなく、天意や天の力、自然と一体となる生き方を目指すのが良いと思えます。

私は振動がエネルギーを呼び込むという、これ以上簡単な法則はない、、、という観点に立ち、新しい健康法というか、本質的なエネルギー補給法について、チューナー、ふるべ、そして拮抗の原理に関わって行きたいと、改めて思う年の瀬となりました。

今年はもう残ったセミナーはすでに締め切っている神舞踏セミナーだけとなりましたが、あと何か、気楽な楽しい会合を一つ、考えたいと思っています。思いつきましたらお知らせいたしますので、どうかチェックしてみてください。

試練を経ずに新しい時代が到来するようにと、願わずにはいられません。フリーエネルギーしかないと思うのです。フリーエネルギーを使えるかどうかは、結局は人の意識であり、フリーエネルギーとは意識そのもの。

同じことをしても、それは形を追った結果としてなのか、エネルギーの流れの結果としてなのかで、雲泥の違いが出るのが、これからの時代なのです。

煎じ詰めれば、フリーエネルギーとは人の考え方、意識そのものです。

自分が生きているのか、生かされているのか、、フリーエネルギーの理解の分かれ道がそこにあります。

見晴台とは、身を張らす意味であると、何かで教わったことがありますが、(ひふみ)身を張らせば、内臓は拮抗しエネルギーが満ちます。

身を張らすには、お任せする意識が必要です。そうでない限り、私たちは奪い合いの世界から抜け出せません。

生かされている安心の元、身を張らす内臓拮抗となれば、喜びがヒシヒシと湧いてくることになるのです。

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